えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

花花しくデビュー

2009年03月04日 | 雑記
花粉症の疑いがあるので医者に行きました。
どんぴしゃで花粉症だそうです。
先週花粉症の人間をバカにしていた付けがどうやらまわってきた
もようで、「はくしょん!」こそ無いけれど、
前頭部と目に鈍痛のする日々は花粉のせいだったようです。
抗アレルギー剤や目薬、鼻薬(はなぐすり、と読むと
なんだかタイムリーな感じです)を頂いた上、

医者:「肩こってますねー」
なめくじうさぎ:「そうですね」
医者:「僧帽筋っていう筋肉があるんですよ。お坊さんの帽子の」
なめ:「ああ、頭から肩にかけての……」
医者:「肩のコリがひどいと、痛みが上に来て、頭全体が
    痛むようになります」
なめ:「そうですね、側頭部も痛いです」
医者:「おそらく、頭痛の原因の一端でしょう。なので、お薬を出しておきます」
なめ:「はあ」(「おばあちゃんの背中」想像中)
医者:「錠剤です」

私の常識:肩こり→塗り薬・貼り薬
        ≠飲み薬
現実:肩こり→飲み薬
      ≠塗り薬・貼り薬

なめ:「そんなにひどいんですか」
医者:「ひどいです。(断定)」

花粉症よりも重症のような気がしてきました。

医者:「それから念のため、検査をします」
なめ:「はあ」
医者:「手を前に出して、はい手のひらを上に。そのまま目を閉じてください。
医者:「次に手を振ってみてください。はい。じゃあ手を膝の上において、
医者:「ちょっと叩きますよ。はい。(両肘・両膝をコンコン)最後に舌を出して。
医者:「はい大丈夫です。検査終わりです」
なめ:「はあ」
医者:「脳みそに異常が出ていないかの検査です。大丈夫でした」

花粉症より重症だったみたいです。

⇒本日の教訓:頭痛はこわい。あと肩こりには飲み薬もある。


薬剤師:「筋肉がほぐれるのでだるくなりやすいです」
薬剤師:「運転や細かい作業は気をつけてください」
なめ:「(それって……)」
コメント (3)
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バーナード・リーチ「バーナード・リーチ日本絵日記」読みかけ

2009年03月02日 | 読書
晴天の今日、明日からまた雪で、吉野梅郷の梅もまだ七分咲き、と
いったところでしょうか。
山をうろうろとさまよったので明日はおそらく筋肉痛でしょう。

勝手ですが、うすピンクの八重の梅を「もも梅」と呼んでいます。
紅梅というには薄すぎて、白梅というにはもも色過ぎるふんわりした花の
梅は、ピンクというのも色気がないので「もも梅」にしたいと思います(おい
梅郷の「もも梅」で一番かわいいのは「朱鷺の舞」という青梅出身の梅。
特に開きかけのとき、花びらがはすの花のように広がって、
花のおしりの方から濃く、花びらの先に向けて真っ白に咲く、とてもかれんな
「もも梅」なのです。
なので吉野梅郷に行ったら「朱鷺の舞」というもも梅をめでましょう。


まったく脈絡は無いのですが梅郷に連れて行った本が今日の本です。
:講談社学芸文庫『バーナード・リーチ日本絵日記』
バーナード・リーチ著・絵
柳 宗悦訳

戦争をまたいで日本を愛した英国人の陶工です。
そしてまた、与謝蕪村のような素描を描く人です。
彼が、1952年ごろ日本に戻り、民芸運動の創設者柳宗悦たちと
旅した紀行文を、本国の人向けに書いたものを翻訳したものが本書です。

『日本は真の芸術の国だ。それは血液にも時間にも室内にもある。
この感受性、魂を養う五官を通じての感得、味わい、色彩、秘められた魅力。
それは永井洗練の歴史を通じて生み出されたものであり、ここでは芸術が、
外国の芸術すらもが、生活の一部として適切な位置に存在している。』

リーチは、外国人の目から見た日本という位置から離れないまま、
物事を語り続けています。
あくまで自分は、この文化に住んでいないぞ、という謙虚さを
保ちながらも、日本への止まない愛情がただただ溢れた文章にあわせて、
リーチの線描で描かれた柳、河井寛次郎、各地の景色が電車の車窓のように
流れてゆきます。
ただの懐古ではなく、敗戦後、心の支えまで失い迷走する日本から、
失われてゆく民芸の感覚を、本気で憂えているリーチの視点が心を撃ちます。

彼は考えることをやめない人です。
本質を掴もうと感覚を磨きながら、論理的な、英国人ならでは、
ともいえる冷静なまなざしで分析することをやめません。
こう書くと、とってもお堅そうに見えますけれど、
いっぽうで、学術文庫、には似合わないほど表紙は素朴でかわいいので、
見かけたら手にとって見てくださいませ。

あ、あと明日、日本民藝館を訊ねようと思っています。
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ダニエル・リー監督:『三国志』鑑賞

2009年03月01日 | コラム
:『三国志(原題:Three kingdoms Resurrection of the Dragon)』
ダニエル・リー監督 09年2月14日公開 

先日の『三国志』コラムふうレビューです。
文章としておもしろいものと、
ブログとしておもしろいものはまったく違うと思いますが、
なるべくカテゴリ「コラム」のときは、
文章として面白いものをあげてゆきたいと思っています。
……あう。

―あっさり味の武将ドラマ

 腕を組み、右を向いた男の、左目からひたいにかけての影がうつむきがちの表情に憂いをたたえている。有楽町のシャンテ・シネから40分、映画の後に観るパブロ・ピカソのサルティンバンクは、アンディ・ラウ演じる趙雲が進軍する兵士を黙って見つめるまなざし、老境の趙雲に漂う悲壮感は、整ったかたちが生み出す独特の威厳を持つものとして互いに通じるものだ。アンディ・ラウは47歳だという。もう中年とも呼べる彼は、三国志の中でも時代の全てを生き抜いた趙雲と言う武将の半生を一人で乗り切ったのだった。

 4月公開の『レッドクリフ Part2』を前にしてひっそりと公開されたダニエル・リーの『三国志』は、戦争と個人にテーマを絞りきれず揺れる『レッドクリフ~』に対し、趙雲という武将一人へと完全に視点を固定し、彼の一生をさらりと描く映画だ。『少林寺 怒りの鉄拳』の監督でもあり、本作でもアクション監督を務めるサモ・ハンやマギー・Qなど有名な俳優を使いつつも、粛々とした公開である。サモ・ハンを語り部に据え、時代の変化を彼の語りで押さえることで、趙雲という武将のエピソードの少なさを補いつつも、若年から老境への進行をスムーズに行い堅実なつくりだ。趙雲の性格を役者も監督もきちんと考えて作り上げているので、彼に合わせた周りのオリジナルキャラクター達が浮かず、一つのドラマとして機能していることが快い。

 特にサモ・ハン。この小太りの、頬に垂れる肉に埋もれるどんぐり型の、スキの無い目をした俳優は、戦場でマギー・Qと向かい合ったときにアンディ・オンの後ろに隠れたり、目の挙動がいちいち不信でわかりやすい動揺を、たるんだシワでよく作りこんでいて、アンディ・ラウの淡々とした老境の傍にいるとひどくもどかしいのだが、ラウと二人年月を雪の中で語り合うのは似合っていてよい。三国志という物語にとらわれず、監督の感覚の上で無駄なものをさっぱりと省いた、すがすがしさがきわだつ。(798文字)
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