いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

混迷からの脱却。 get rid of bewilderment

2011-06-14 19:58:29 | 日記
 (1)本当にこの政府はどうしようもない。東電の事故責任論で徹底したリストラ策も中途半端なままで、国への支援策ばかりは聞き入れて、本末転倒のパラドックス(paradox)な政府の危機管理能力をまるで見くびられているかのようだ。
 同役員の報酬返上、削減も全容もわからなければ、年金返上は方針も手付かずのままでは、社会の理解を得られるものとはとても言えずに、まずは原発事故自己責任論を具象化する誠意、自責観念が「東電」から見えてこないのはどうしたことか。

 いくら首相の退陣表明で、経済界からすでに見放された政府、内閣、首相とは言え、ちょっと経済界のやりたい放題の好き勝手に振り回されすぎではないのか。経団連会長は政府の経済成長戦略の重要会議を欠席するは、東電も経団連には強い影響力を持つと言われている。

 (2)福島原発事故の損害賠償問題では、政府は東電の一次的な自己責任賠償論を主張して、仮にも電気料金に反映してその責任を国民負担で回避することは認められないとしていた。
 その東電の一次的な自己責任賠償体制、対策、方針が進展しない中で、政府、経産省は賠償総額10兆円と見込まれる負担を12年度から電力料金に16%(一般家庭の月額1000円増額分)値上げして東電に収益を確保させて(報道)、賠償に回す方針を検討(財務試算)している。
 他地域の電力会社(原子力事業者)への負担分担や国債発行で国民投資に頼ることもあわせて、確実に取り易いところからは徴収する安易な行政政策、指導ばかりが先行しての「原子力行政」推進失敗のツケの後回し策だ。

 (3)原発事故収束がプライオウリティ(priority)であるのは言うまでもない。そのための東電の当面の「体力」温存はやむを得ないものもあるだろう。そもそも、政府も認めているように原子力行政を推進してきた政府の責任も重く、原発事故収束現場を東電にまかせっきりというのも早期の収束には適当ではないことは衆知のことだ。

 日本の先端的科学技術、世界の原子力事業技術を結集しての支援体制、対応が不可欠として求められている。
 そのシステムはさっぱり進展せずに、東電の原発事故現場の実態も現状事態の全容も不透明な中で、作業員の劣悪な現場環境の実態だけが伝わってくる始末だ。

 (4)原子力行政のツメの甘さ、見通しの過信、自信過剰、放漫の愚かさを基点として、原発事故への対応、収束、手順、被災者賠償問題のすべてが整然と整理、分析、検証されずに、行きあたりばったりのチグハグで逆回転の連続が事態をさらに混迷へと引きずり込んでいる。

 この首相は退陣を表明した。早期の「0」からのスタートの復興改革内閣で再建を目指さなければ、事態はますます混迷を深めて脱却(get rid of bewilderment)は困難を極めるばかりだ。

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