「私的な財津和夫論」の第18回は、「ポール・マッカートニー」です。
18 ポール・マッカートニー
ネット社会、電子書籍化の恩恵、影響もあって、最近は本屋に出かけることもなくなったが、発行本の調べものがあって久し振りに本屋に寄ってみた。あれこれしているうちに、「ポール・マッカートニー」という単行本が数冊積んであるのが目に入った。
財津和夫さんのインタヴュー記事があったので購入した。増補改訂新版(supplement)ということで、本の中の財津さんの写真が今よりはちょっと若いのが気にはなったが帰って読んでいるうちに、これは10年ほど前に新版として出ていて購入していたことに気づいて、その新版ものを取り出してきて比較してみると内容はほとんど同じで、ポールの写真だけが現在(70才近くですか)のものに変わっている程度のものであった。頭の中では10年もたてば、記事はすでに新版ものになっていたと言うことだった。
財津さんは、ビートルズの中でポール・マッカートニーだけは歌もうまいし、演奏、その存在感は「特別」なものだと述べている。
財津さんは、ビートルズ来日公演も武道館で見ているが、ポールだけは躍動感があって歌がうまくて、ひとり特別な存在だったと言っている。
しかし、それを発展させれば、ポールばかりがそろっていてもあの「ビートルズ」が成り立つわけでもなくて、ジョン・レノンという強い個性があってこそ成り立つ「ビートルズ」であり、さらに発展させれば、4人の強い個性が見事にからまってこその最高峰の「ビートルズ」が成り立つものだと言うことだ。
ビートルズの歌、演奏がうまいのかと言うことを、はるかに超越したところに存在するのが「ビートルズ」の「すごい」ところだ。
ビートルズの「すごい」ところは、どんな他人の曲でも「ビートルズ」の曲にしてしまう「ところ」存在感のすごさだ。
「twist and shout」(アイズレー・ブラザーズ)、「プリーズ・ミスター・ポストマン」(マーヴェレッツ)は、誰が聞いてももう「ビートルズ」の曲以外の何ものでもないだろう。もちろん、ビートルズの他に比類のない時代と音楽をリードしたクリエイティヴな詞曲創作音楽がその偉大さだ。
大橋純子さんがテレビ番組出演の中で、歌手活動に転機を迎えていた頃に活動を控えていた時のこと、ポール・マッカートニーの来日公演を聞きに出かけた時のことを話している。
しばらくのバンドサウンドのあと、ステージからバンドが一旦去ってポールがひとりギター一本で「yesterday」を歌いだした。その時、ホール全体の空気が一変するのを肌で感じたと言う。
観客がポールの歌う「yesterday」にインスパイア(inspire 魂の注入)されていくのが手に取るようにわかって、鳥肌が立つのを実感したと言う。
ヒット曲と言うのは、自分のものであって、自分のものでない、みんなのものなんだと言うことがよくわかったと言う。それから、また歌い出す勇気が出たと言う。歌の力とはそういうものだ。
ポール・マッカ-トニーは、音(melody)を生かすために言葉(lyrics)を使うが、ジョン・レノンは言葉(lyrics)を生かすために音(melody)を使う。
財津さんは、その音楽性の高さを生かしたまとまりのあるメロディラインの美しさではポールの音楽の流れを汲んでいるけれど、言葉(lyrics)を生かすすばらしいメロディラインを創作してきて、レノンの音楽観に近いと見ています。
財津さんは、若い頃はメロディ先行の創作スタイルであったが、近年は言葉(lyrics)先行の創作スタイルにシフトしていると話しているのを聞いたことがあります。
ビートルズのポール同様、チューリップでは財津さんの声(voice)、歌のうまさ、コンポーザー、その存在感は「特別」なものがあります。
しかし、財津さんばかりがそろっても「チューリップ」が成り立つものではなくて、安部さん、姫野さん、上田さんの個性がからみあってこその「チューリップ」です。
時代と音楽をリードするグループには「特別」な存在とともに、多様な個性が相互に影響して、からみあってこその最高峰の果実となって音楽のパラダイム(paradigm)として突出してくるのです。
ビートルズのコンポーザーとしては、レノン、ジョージを失ってポールがひとり残りました。70才近くになっても多様な音楽活動を展開中で、増補新版の「ポール・マッカートニー」では、レノンと夢の中でいっしょに曲をつくろうとした話も紹介してデモテープにも落としてあると言う。活動年表最後には、今年5月に南米で2週間のツアー(アップ・アンド・カミングツアー)を開催したとある。
〔転載禁止です〕
18 ポール・マッカートニー
ネット社会、電子書籍化の恩恵、影響もあって、最近は本屋に出かけることもなくなったが、発行本の調べものがあって久し振りに本屋に寄ってみた。あれこれしているうちに、「ポール・マッカートニー」という単行本が数冊積んであるのが目に入った。
財津和夫さんのインタヴュー記事があったので購入した。増補改訂新版(supplement)ということで、本の中の財津さんの写真が今よりはちょっと若いのが気にはなったが帰って読んでいるうちに、これは10年ほど前に新版として出ていて購入していたことに気づいて、その新版ものを取り出してきて比較してみると内容はほとんど同じで、ポールの写真だけが現在(70才近くですか)のものに変わっている程度のものであった。頭の中では10年もたてば、記事はすでに新版ものになっていたと言うことだった。
財津さんは、ビートルズの中でポール・マッカートニーだけは歌もうまいし、演奏、その存在感は「特別」なものだと述べている。
財津さんは、ビートルズ来日公演も武道館で見ているが、ポールだけは躍動感があって歌がうまくて、ひとり特別な存在だったと言っている。
しかし、それを発展させれば、ポールばかりがそろっていてもあの「ビートルズ」が成り立つわけでもなくて、ジョン・レノンという強い個性があってこそ成り立つ「ビートルズ」であり、さらに発展させれば、4人の強い個性が見事にからまってこその最高峰の「ビートルズ」が成り立つものだと言うことだ。
ビートルズの歌、演奏がうまいのかと言うことを、はるかに超越したところに存在するのが「ビートルズ」の「すごい」ところだ。
ビートルズの「すごい」ところは、どんな他人の曲でも「ビートルズ」の曲にしてしまう「ところ」存在感のすごさだ。
「twist and shout」(アイズレー・ブラザーズ)、「プリーズ・ミスター・ポストマン」(マーヴェレッツ)は、誰が聞いてももう「ビートルズ」の曲以外の何ものでもないだろう。もちろん、ビートルズの他に比類のない時代と音楽をリードしたクリエイティヴな詞曲創作音楽がその偉大さだ。
大橋純子さんがテレビ番組出演の中で、歌手活動に転機を迎えていた頃に活動を控えていた時のこと、ポール・マッカートニーの来日公演を聞きに出かけた時のことを話している。
しばらくのバンドサウンドのあと、ステージからバンドが一旦去ってポールがひとりギター一本で「yesterday」を歌いだした。その時、ホール全体の空気が一変するのを肌で感じたと言う。
観客がポールの歌う「yesterday」にインスパイア(inspire 魂の注入)されていくのが手に取るようにわかって、鳥肌が立つのを実感したと言う。
ヒット曲と言うのは、自分のものであって、自分のものでない、みんなのものなんだと言うことがよくわかったと言う。それから、また歌い出す勇気が出たと言う。歌の力とはそういうものだ。
ポール・マッカ-トニーは、音(melody)を生かすために言葉(lyrics)を使うが、ジョン・レノンは言葉(lyrics)を生かすために音(melody)を使う。
財津さんは、その音楽性の高さを生かしたまとまりのあるメロディラインの美しさではポールの音楽の流れを汲んでいるけれど、言葉(lyrics)を生かすすばらしいメロディラインを創作してきて、レノンの音楽観に近いと見ています。
財津さんは、若い頃はメロディ先行の創作スタイルであったが、近年は言葉(lyrics)先行の創作スタイルにシフトしていると話しているのを聞いたことがあります。
ビートルズのポール同様、チューリップでは財津さんの声(voice)、歌のうまさ、コンポーザー、その存在感は「特別」なものがあります。
しかし、財津さんばかりがそろっても「チューリップ」が成り立つものではなくて、安部さん、姫野さん、上田さんの個性がからみあってこその「チューリップ」です。
時代と音楽をリードするグループには「特別」な存在とともに、多様な個性が相互に影響して、からみあってこその最高峰の果実となって音楽のパラダイム(paradigm)として突出してくるのです。
ビートルズのコンポーザーとしては、レノン、ジョージを失ってポールがひとり残りました。70才近くになっても多様な音楽活動を展開中で、増補新版の「ポール・マッカートニー」では、レノンと夢の中でいっしょに曲をつくろうとした話も紹介してデモテープにも落としてあると言う。活動年表最後には、今年5月に南米で2週間のツアー(アップ・アンド・カミングツアー)を開催したとある。
〔転載禁止です〕