(1)政治が反発している。思惑どおりに事が進まない、出来ない苛立(いらだ)ちだ。新しく見えて古い、古くて古い政治家たち(but old look like a brand-new day and old moreover old politicians)の権力志向、既得権益保護、優先のなれの果てだ。
民主党の仙谷政調会長代行が「日本の経済社会は電力なしには生活できない」と原発再稼働の必要性を主張して、5月にも起きる可能性のある全原発停止状態を「日本はある意味では集団自殺をするようなもの」と決め付けた。
今主流の弁護士出身の政治家で民主党現政調会長、経産相の後ろ盾を自認して原発再稼働方針を弁護する発言だ。
官房長官として尖閣沖中国漁船衝突事件で逮捕した同漁船長の処分保留のままの釈放帰国の「地裁決定」を黙認(そんな外交判断はあるなずがない)して、その後国会(参院)の問責決議を受けて辞任した。
社会正義を守る公明正大な弁護士にあるまじき政治に高度な機密性を正当化し、自らは権力者を後ろ盾で支え策略を巡らす古い政治家像の策士と見らている。
仙谷代行は中国漁船衝突事件では中国政府の制裁措置への不条理(unreasonableness)な日本政府の対応で事実の情報開示(映像公開)に反対して、海保官による現場映像ネット流出に対する公務員の秘密保全法制定に主導的な役割を果たしていた。
政治主導がテーゼ(these)の民主党政権をそれ以前の官僚主導に修正した、新しく見えて古いタイプの政治家だ。
(2)そこで、「日本の集団自殺」発言だ。仙谷代行は過激なロジック(logic)で有名で物議をかもすことも多い。原発再稼働問題は、福島原発事故の本格的事故調査(7月予定)もまだの中での安全宣言(基準化)で、大飯原発の再稼働に向けて立地地元と協議に入った。
これに周辺衛星自治体の橋下大阪市長が強く反発して、民主党政権との対立姿勢を打ち出している。
たかだか原発1基の再稼働で今年の夏の全国電力供給安定事情がどうのこうのということにはならない電力ひっ迫事情ではあるが、これを「テコ」にして原発に依存した電力安定供給に向かいたい政府の思惑(expectation)がある。
仙谷代行が後ろ盾をする経産相は全原発停止を「一瞬0(ゼロ)になる」と危機感を表現したが、大飯原発の再稼働問題だけでは今の電力安定供給事情にほとんど決定的な影響力を及ぼすものではないすでに事態、課題であることはあきらかだ。
いかにも電力供給不安による国民生活、経済の危機的状況を国民自らの判断で追い詰めるかの行為だとして、エキセントリック(eccentric)に集団自殺などと表現する意図は余りに見え透いている。政治家にあるまじき煽動的な危機感をみだりに煽(あお)るロジック(logic)で理解できない。
昨年夏の電力不足も、企業、国民の忍耐、努力、工夫でしのいだ実績を政治がどう評価、検証するのか、それに比較して集団自殺発言はまったく理不尽で安易な言語道断の政治的発言だ。
(3)古くて古い政治家の話。自民党の問題発言での短命内閣の森元首相が「最高裁が国会議員の数が多いとか少ないとか『余計』なことを言う必要はない」と反発した。
国民の選挙選択権、1票の価値について国会が余りに不条理な格差を放置しているとなると、改善勧告が必要なのは国民の権利義務の公正、公平性実現のためには当然のことだ。
国会が自ら改善しないのなら、国民からの訴えに裁判が判断をするのはひとつの手段である。
政治の既得権保護、優先事情の話など、09年の本格的政権交代による国民の判断で決別したことだ。森元首相も前述の仙谷代行同様に、辞任後に政界の影で裏で影響力を誇示して動く古いタイプの政治家だ。
ともに思惑政治が思うように進まないある種、健全政治への転嫁のプロセスへのいら立ち、反発という時代錯誤の吐露(とろ)、なれの果てにしかすぎない。
民主党の仙谷政調会長代行が「日本の経済社会は電力なしには生活できない」と原発再稼働の必要性を主張して、5月にも起きる可能性のある全原発停止状態を「日本はある意味では集団自殺をするようなもの」と決め付けた。
今主流の弁護士出身の政治家で民主党現政調会長、経産相の後ろ盾を自認して原発再稼働方針を弁護する発言だ。
官房長官として尖閣沖中国漁船衝突事件で逮捕した同漁船長の処分保留のままの釈放帰国の「地裁決定」を黙認(そんな外交判断はあるなずがない)して、その後国会(参院)の問責決議を受けて辞任した。
社会正義を守る公明正大な弁護士にあるまじき政治に高度な機密性を正当化し、自らは権力者を後ろ盾で支え策略を巡らす古い政治家像の策士と見らている。
仙谷代行は中国漁船衝突事件では中国政府の制裁措置への不条理(unreasonableness)な日本政府の対応で事実の情報開示(映像公開)に反対して、海保官による現場映像ネット流出に対する公務員の秘密保全法制定に主導的な役割を果たしていた。
政治主導がテーゼ(these)の民主党政権をそれ以前の官僚主導に修正した、新しく見えて古いタイプの政治家だ。
(2)そこで、「日本の集団自殺」発言だ。仙谷代行は過激なロジック(logic)で有名で物議をかもすことも多い。原発再稼働問題は、福島原発事故の本格的事故調査(7月予定)もまだの中での安全宣言(基準化)で、大飯原発の再稼働に向けて立地地元と協議に入った。
これに周辺衛星自治体の橋下大阪市長が強く反発して、民主党政権との対立姿勢を打ち出している。
たかだか原発1基の再稼働で今年の夏の全国電力供給安定事情がどうのこうのということにはならない電力ひっ迫事情ではあるが、これを「テコ」にして原発に依存した電力安定供給に向かいたい政府の思惑(expectation)がある。
仙谷代行が後ろ盾をする経産相は全原発停止を「一瞬0(ゼロ)になる」と危機感を表現したが、大飯原発の再稼働問題だけでは今の電力安定供給事情にほとんど決定的な影響力を及ぼすものではないすでに事態、課題であることはあきらかだ。
いかにも電力供給不安による国民生活、経済の危機的状況を国民自らの判断で追い詰めるかの行為だとして、エキセントリック(eccentric)に集団自殺などと表現する意図は余りに見え透いている。政治家にあるまじき煽動的な危機感をみだりに煽(あお)るロジック(logic)で理解できない。
昨年夏の電力不足も、企業、国民の忍耐、努力、工夫でしのいだ実績を政治がどう評価、検証するのか、それに比較して集団自殺発言はまったく理不尽で安易な言語道断の政治的発言だ。
(3)古くて古い政治家の話。自民党の問題発言での短命内閣の森元首相が「最高裁が国会議員の数が多いとか少ないとか『余計』なことを言う必要はない」と反発した。
国民の選挙選択権、1票の価値について国会が余りに不条理な格差を放置しているとなると、改善勧告が必要なのは国民の権利義務の公正、公平性実現のためには当然のことだ。
国会が自ら改善しないのなら、国民からの訴えに裁判が判断をするのはひとつの手段である。
政治の既得権保護、優先事情の話など、09年の本格的政権交代による国民の判断で決別したことだ。森元首相も前述の仙谷代行同様に、辞任後に政界の影で裏で影響力を誇示して動く古いタイプの政治家だ。
ともに思惑政治が思うように進まないある種、健全政治への転嫁のプロセスへのいら立ち、反発という時代錯誤の吐露(とろ)、なれの果てにしかすぎない。