いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

男子の闘い。(世界フィギュア) world figure skate

2012-04-01 20:14:48 | 日記
 (1)人が人を裁くのが不条理なら、人が人を評価するのもまた不条理だ。社会正義のパラダイム(paradigm)や努力、能力、技術の高さの位置づけ、比較論のための「ひとつ」の尺度(scale)として必要悪とまでは言われないけれど、やむを得ず存在する。

 判例(judical precedent)とか基準(standard)が判定材料だ。スポーツの世界では、速く、高く、遠く、多くの基準スポーツは誰の目にもわかり安いが、技量、美的要素の評価スポーツとなると、はた目にはこまかい採点方法、反映基準までは容易にはわからないから、一見シロウトには見た目と違う結果に戸惑うこともある。

 (2)フランスのニースで開催されている世界フィギュアスケート(world figure skate)で、男子の部は10年のチャンピオン(高橋大輔:日本)と11年のチャンピオン(パトリック・チャン:カナダ)の争いとなった。

 フィギュアスケートは、テクニカル・コンポジション(technical composition 技術構成点)とアーティスティック・インプレッション(artistic impression 芸術印象点)で評価される「美」のスポーツだ。

 4回転(salchow)、3回転半(triple accele)などのジャンプ技術はまだしも成功、不成功はなんとか比較理解できても、芸術印象点となるとシロウトには千差万別の見方があってどうしても「ひいき目」で見てしまう傾向はいたしかたのないところだ。人が人を評価する不条理の世界と割り切って見るしかない。

 (3)そこで昨日の男子フリーの演技(演技と言うところがこのスポーツの特性)、前日のショートプログラム(SP)では1位のチャン選手と3位の高橋選手は、ともに自身完璧には遠い不安定な内容で「3.69」点差でのフリー演技を迎えていた。

 フリー演技最終組でまず高橋大輔選手が先に滑り、演技最初の4回転ジャンプも無難にこなして(前日SPでは成功した4回転ジャンプのあとの3回転トーループで転倒)その後もシロウト目には目立ったミスもなく劇的な音楽に乗って感動的なフリー演技を見せた。

 テレビ解説者も「日本人として誇れる演技」と称賛するほどの出来栄えに見えた。世界一の技術とも言われる自由自在のステップワークにいつものようなもうひとつの圧倒感は伝わってはこなかった「気」がしたが、この緊迫した雰囲気の中でもよく自己コントロールしたすばらしいフリー演技と確信できるものであった。

 (4)最終演技者となったP.チャン選手は中盤、終盤のジャンプがめずらしく不安定で両足でキープしたり、リズム(流れ)も悪くかなり自身としては不十分なフリー演技に映った。
 ほぼこの時点で高橋選手の逆転優勝が見えた「気」がした両選手の比較演技と映った。

 結果は前日からのSPからさらに「2」点差開いてのチャン選手の1位、高橋選手2位の結果だった。両選手の演技構成、難易度など専門的なことはわからないだけになんとも言えないが、トータル的に少なくともSPからは差が縮まることはあっても開くような両選手のフリー演技ではなかったと見るのが、常識的というか一般的な見方だ。

 (5)今回ここで言いたいのは、もちろんそんなアーティスティック・インプレッション評価、あくまで「ひいき目」の話ではなくて、その常識的なというか一般的な見方を超越したところにあるのがチャンピオンの風格、演技だというところだ。

 2年連続の世界チャンピオンとなったパトリック・チャン選手は中国系のカナダ人で風貌もスマート、実直なイメージで見るからに人に好かれるタイプで(実はわからないが)、われわれにも親近感のあるチャンピオンだ。大柄な身体能力でスケールの大きいチャンピオンにふさわしい風格のあるフィギュアスケート演技者である。

 一方の高橋選手も、日本チームの牽引者、まとめ役としてリーダーシップにすぐれている、信頼の厚い人物と言われており、2年後のソチ冬季オリンピックに向けてこの両選手の「人が人を評価する」比較論など超越した清々(すがすが)しい完成度の高い人格プレーが楽しみだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする