いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

裁判劇評論。 criticism of trial drama

2012-04-27 19:48:17 | 日記
 (1)断るまでもなく、民主党元代表・幹事長が自ら代表の政治団体の4億円の収支報告を秘書にまかせて知らなかった(と本人は主張)というだけで、国民から付託を受けた政治家としての政治責任は重く、大きく、政治家失格だ。
 昨日の同事件にからむ政治資金規正法違反共謀罪に対する東京地裁の「未練たらたらしい」判決は、今まで聞いたこともないものだった。

 同強制起訴裁判では、弁護士が「検事役」と「弁護士役」にわかれて公判劇(public trial drama)を演じて、裁判は同事件(虚偽記載)は民主党元代表・幹事長が制作、構成、演出、脚本し、その終始深い霧につつまれた特殊効果の画面にはついぞ見つけることはできなかったが、その圧倒的なドラマの「存在感」から同氏を「主演(すべてを知っていた)」と位置づけ、決め付けてみたが、しかしかすかに特殊効果切れの画面の霧の晴れ間に顔を出した元秘書(現衆院議員)、会計責任者らとの「共演(共謀)」をどうしてもクレジット(credit)できなかった、という大変わかりにくい裁判劇評論(criticism of trial drama)だった。

 元代表・幹事長は、同政治団体への4億円の収支報告の取り扱いを秘書、会計責任者にまかせっきりで一切知らなかったと一貫して主張してきたが、裁判は同氏の4億円の出所(でどこ)の証言の何度もの言い替えのうえに巨額の政治資金の収支報告書を一度も見ていないというのはとても「信用できない」として、これらの「報告」を受け「了承」していたとして元代表・幹事長の「主張」を全面否定した。

 そのうえでこれが政治資金収支報告書に記載されなかった(虚偽記載)ことが違法であるとの認識がなかった可能性も否定はできず、「共謀」して虚偽記載まで計(はか)った共同正犯としての証拠は十分ではないとして同氏を「無罪」とした。

 判決のプロセスでは検察審査会の「心証」を考慮して、つまり国民の疑問に重きを置き社会通念、心証からの「推定則」で元代表・幹事長の「主張」を全面否定しておいて、結果として「言った」、「聞いていない」のそもそも証拠不在のステージに乗せられた同事件での共謀罪は立証できなかった(無罪)と結論づけた、東京地裁の「未練たらたらしい」判決となった。

 政治資金規正法は、制定当時から政治家保護の精神(ザル法)が問題されてその後改善されてはきたが、同種事件の対象は政治団体責任者(政治家)ではなくて会計責任者の法的責任を問うもので、政治家保身の精神は一貫して変わらずに政治資金規正法の法的不備、欠陥を指摘したものだ。

 本来なら心証、推定則で「主張」を全面否定された元代表・幹事長は直ちに同判決プロセスに反論すべきところを、結果としての「無罪」判決に「裁判の良識と公正さに敬意」まで示してみせた。

 (2)こうした「結果]に導いたのは、裁判が判決の「背景」に「見せた」国民の疑問への答えの「意味」でもあった。

 元代表・幹事長の制作、演出の深い霧につつまれた特殊効果ドラマに対して、裁判がそれとなく判決の「背景」にまた特殊効果で事実背景を「示唆」して見せたお返しの裁判ドラマであった。

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