(1)緊急事態宣言が8月末まで発出、延長される事態となって菅首相は会見で「今回が最後となるような覚悟で」(報道)と述べたが、言葉に緊張感はなく、昨年末の第3波には後のない「勝負の3週間」とも述べてどこまでが本気なのか、やる気なのかもわからずに、もう君たちはいいよと言いたくなる言葉の軽さだ。
(2)同日に検察審査会は安倍前首相がかかわる「桜を見る会」前夜祭のホテル代立て替え疑惑(政治資金収支報告書不記載、公選法寄付禁止など)について、「不起訴不当」と議決した。これに対して当該者の安倍前首相は「当局の対応を静かに見守りたい」と述べているが、誰のことでもない自らへの疑惑問題であり進んで説明責任を果さなければならない問題だ。
(3)安倍前首相は森友、加計疑惑に「桜を見る会」疑惑で国会から追及を受けながら、昨年夏に健康上の理由で辞任をしてその後の健康回復により自民党内では各組織の最高顧問に就任するなど議員として影響力を維持している。
(4)安倍前首相としては健康回復を果したのなら、辞任前の「疑惑」について国会、国民に説明責任を果すことが求められて、検察審査会の不起訴不当議決に対して「静かに見守りたい」ではまるで他人事の問題意識、発言であり、首相時代の重大疑惑について国民から選ばれて負託を受けた政治家として検察審査会の議決とは別に疑惑解明への説明責任がある。
(5)安倍前首相の疑惑説明には不自然さが目立ち、「静かに見守りたい」立場にはなく、安倍前首相としては自ら疑惑に対して解明に努めなければならない責任がある。安倍前首相の「静かに見守りたい」はこの問題はすでに終わったという認識のつもりか、国会、国民の認識とは大きく違う。
(6)政治家の言葉の軽さ、無意味さはずっと言われ続けており、安倍前首相、菅首相の続き、つなぎの極みになって不信を増幅させている。政治家の言葉は意図的に導くために誤った情報を故意に流していると思わせることもある。
彼ら彼女らは指摘されるとすぐに謝罪して撤回してそれで終わりということが多いが、発信された言葉はひとり歩きして、西村コロ担当相は金融機関を通して営業自粛に応じない飲食業への融資規制を行うまるでひと昔前の専制的な発言をして批判を浴びて撤回、謝罪をしたが、飲食業にとっては重たい圧力となってひとり歩きして発言残影は残ることは考えられる。
(7)西村発言のような問題の大きな発言であれば謝罪、撤回だけではなく相応の責任を取ることは担当相の責任、信頼の大きさから必要だ。
「勝負の3週間」、「これが最後(の緊急事態宣言)となるような覚悟」、「静かに見守りたい」がそうならないとすれば、相応の勝負、覚悟、自覚が必要だ。
(2)同日に検察審査会は安倍前首相がかかわる「桜を見る会」前夜祭のホテル代立て替え疑惑(政治資金収支報告書不記載、公選法寄付禁止など)について、「不起訴不当」と議決した。これに対して当該者の安倍前首相は「当局の対応を静かに見守りたい」と述べているが、誰のことでもない自らへの疑惑問題であり進んで説明責任を果さなければならない問題だ。
(3)安倍前首相は森友、加計疑惑に「桜を見る会」疑惑で国会から追及を受けながら、昨年夏に健康上の理由で辞任をしてその後の健康回復により自民党内では各組織の最高顧問に就任するなど議員として影響力を維持している。
(4)安倍前首相としては健康回復を果したのなら、辞任前の「疑惑」について国会、国民に説明責任を果すことが求められて、検察審査会の不起訴不当議決に対して「静かに見守りたい」ではまるで他人事の問題意識、発言であり、首相時代の重大疑惑について国民から選ばれて負託を受けた政治家として検察審査会の議決とは別に疑惑解明への説明責任がある。
(5)安倍前首相の疑惑説明には不自然さが目立ち、「静かに見守りたい」立場にはなく、安倍前首相としては自ら疑惑に対して解明に努めなければならない責任がある。安倍前首相の「静かに見守りたい」はこの問題はすでに終わったという認識のつもりか、国会、国民の認識とは大きく違う。
(6)政治家の言葉の軽さ、無意味さはずっと言われ続けており、安倍前首相、菅首相の続き、つなぎの極みになって不信を増幅させている。政治家の言葉は意図的に導くために誤った情報を故意に流していると思わせることもある。
彼ら彼女らは指摘されるとすぐに謝罪して撤回してそれで終わりということが多いが、発信された言葉はひとり歩きして、西村コロ担当相は金融機関を通して営業自粛に応じない飲食業への融資規制を行うまるでひと昔前の専制的な発言をして批判を浴びて撤回、謝罪をしたが、飲食業にとっては重たい圧力となってひとり歩きして発言残影は残ることは考えられる。
(7)西村発言のような問題の大きな発言であれば謝罪、撤回だけではなく相応の責任を取ることは担当相の責任、信頼の大きさから必要だ。
「勝負の3週間」、「これが最後(の緊急事態宣言)となるような覚悟」、「静かに見守りたい」がそうならないとすれば、相応の勝負、覚悟、自覚が必要だ。