(1)安倍政権は憲法解釈変更による集団的自衛権(collective self defense)の行使容認を閣議決定して来年通常国会での安保法案整備を進めているが、非常に矛盾した論理(logical discrepancy)展開となっている。
日本国憲法は第9条で国際紛争を解決する手段としての戦力を保持せず、交戦権を有しないと規定している。同盟国が攻撃された時に自衛隊を海外の戦闘地域に派遣して、ともに戦う集団的自衛権は憲法上認められない行為だ。
(2)法治国家として自衛隊を戦力として海外に派遣し(集団的自衛権)戦闘(戦争)行為に参加させるなら憲法改正が必要だが、手続上(衆参国会議員の3分の2以上の賛成発議が)無理だとわかると、それまで内閣法制局が違憲だとしてきた集団的自衛権の憲法解釈変更という訳のわからない論理を持ちだして、ほとんど連立与党内の協議だけで閣議決定を急いだ。
これに国民の過半数が反対、危惧(世論調査)を示すと安倍首相は国民にわかりやすく説明して理解を得る努力をして「そのうち」国民の信を問うと言ってきたのだから、今回の解散総選挙はその機会だ。
(3)この「憲法解釈の変更」は従来の法制局の主張を否定するものだから、安倍内閣による「超法規的」対応といえるものだ。
憲法改正による規定変更によらなければならないものを内閣の超法規的対応で閣議決定しておいて、その中身は法的根拠、整備をしようというのだから竹に木を接(つ)ぐもので一貫性のない都合主義で論理矛盾の展開だ。
国民の過半数の反対の中でほとんど連立与党内の協議だけで急いだ集団的自衛権の行使容認だが、仮にこれを実現するとなると実働は自衛隊ということになる。パラドックス(paradox)として集団的自衛権の実施段階での自衛隊の組織力、意識力、能力が実施への障害になると書いた。
(4)自衛隊は戦闘組織能力では海外からは軍隊(戦力)として認識はされているが、国内的に見ると組織は公募制で例年人員募集に苦労して、先日も防衛省の中学生対象者の不適切なデータ収集が問題となった。
幹部自衛官育成の防衛大学校でも卒業生の全員が自衛隊に進むわけでもなく、また隊員も技術資格取得後に民間企業に再就職するものも多いといわれる。
自衛隊員の中にどれだけ国を守る意識、気概、意欲があるのか疑問に思える実態だ。当然ながら自衛隊員の中にも日本は平和憲法で戦争を放棄し、日米安保体制で国を守るテーゼ(these)は国民同様に根底にはある。
(5)集団的自衛権の行使容認で自衛隊の戦闘地域への海外派遣で、そこに飛び込んで貢献しようという意欲、気概のあるものが今後増えることは考えにくい実情だ。
今年度の中堅自衛官を養成する候補生募集では、昨年度に比べて10%の応募者減少(報道)となった。同様に防衛大学校の応募者も減少(同)した。
防衛省は「景気回復で民間雇用が増えたため」(報道)と説明しているが、それは何が何でも自衛隊に入って国を守る、同盟国と共同して戦うという意欲、気概のあるものが低いという証明でもある。
(6)唯一の覇権国家として世界の安全保障にかかわってきた米国でも国内にはえん戦気分の高まりがあり、国防予算の縮小、国際紛争への関与も見直す方向にある。
日本が集団的自衛権の行使容認で積極的にその肩代わりをすることになれば、それは平和憲法下での自衛隊の存在、現状に逆行するもので、論理矛盾の中で政府がいくら法整備だけ急いでみても、自衛隊の機能力(意欲、気概を含めて)そのものが集団的自衛権の行使に障害となることを意味するものだ。
日本国憲法は第9条で国際紛争を解決する手段としての戦力を保持せず、交戦権を有しないと規定している。同盟国が攻撃された時に自衛隊を海外の戦闘地域に派遣して、ともに戦う集団的自衛権は憲法上認められない行為だ。
(2)法治国家として自衛隊を戦力として海外に派遣し(集団的自衛権)戦闘(戦争)行為に参加させるなら憲法改正が必要だが、手続上(衆参国会議員の3分の2以上の賛成発議が)無理だとわかると、それまで内閣法制局が違憲だとしてきた集団的自衛権の憲法解釈変更という訳のわからない論理を持ちだして、ほとんど連立与党内の協議だけで閣議決定を急いだ。
これに国民の過半数が反対、危惧(世論調査)を示すと安倍首相は国民にわかりやすく説明して理解を得る努力をして「そのうち」国民の信を問うと言ってきたのだから、今回の解散総選挙はその機会だ。
(3)この「憲法解釈の変更」は従来の法制局の主張を否定するものだから、安倍内閣による「超法規的」対応といえるものだ。
憲法改正による規定変更によらなければならないものを内閣の超法規的対応で閣議決定しておいて、その中身は法的根拠、整備をしようというのだから竹に木を接(つ)ぐもので一貫性のない都合主義で論理矛盾の展開だ。
国民の過半数の反対の中でほとんど連立与党内の協議だけで急いだ集団的自衛権の行使容認だが、仮にこれを実現するとなると実働は自衛隊ということになる。パラドックス(paradox)として集団的自衛権の実施段階での自衛隊の組織力、意識力、能力が実施への障害になると書いた。
(4)自衛隊は戦闘組織能力では海外からは軍隊(戦力)として認識はされているが、国内的に見ると組織は公募制で例年人員募集に苦労して、先日も防衛省の中学生対象者の不適切なデータ収集が問題となった。
幹部自衛官育成の防衛大学校でも卒業生の全員が自衛隊に進むわけでもなく、また隊員も技術資格取得後に民間企業に再就職するものも多いといわれる。
自衛隊員の中にどれだけ国を守る意識、気概、意欲があるのか疑問に思える実態だ。当然ながら自衛隊員の中にも日本は平和憲法で戦争を放棄し、日米安保体制で国を守るテーゼ(these)は国民同様に根底にはある。
(5)集団的自衛権の行使容認で自衛隊の戦闘地域への海外派遣で、そこに飛び込んで貢献しようという意欲、気概のあるものが今後増えることは考えにくい実情だ。
今年度の中堅自衛官を養成する候補生募集では、昨年度に比べて10%の応募者減少(報道)となった。同様に防衛大学校の応募者も減少(同)した。
防衛省は「景気回復で民間雇用が増えたため」(報道)と説明しているが、それは何が何でも自衛隊に入って国を守る、同盟国と共同して戦うという意欲、気概のあるものが低いという証明でもある。
(6)唯一の覇権国家として世界の安全保障にかかわってきた米国でも国内にはえん戦気分の高まりがあり、国防予算の縮小、国際紛争への関与も見直す方向にある。
日本が集団的自衛権の行使容認で積極的にその肩代わりをすることになれば、それは平和憲法下での自衛隊の存在、現状に逆行するもので、論理矛盾の中で政府がいくら法整備だけ急いでみても、自衛隊の機能力(意欲、気概を含めて)そのものが集団的自衛権の行使に障害となることを意味するものだ。