ヨーロッパ三部作ラスト「エピデミック」を観てきました。
残念なことに、始まって早々睡魔に襲われ、10分以上は寝てしまった…。目覚めたら3日目からだった。2日目まるまる飛んだ。
いやー、寝てようが寝てまいが関係なく、ラースにしてはめちゃくちゃよく分からんかった…。
その上で感じたことを書かせてもらうと、っていうか、いつもの如くこじつけですが…、
ヨーロッパ三部作の中では1番今のラース作品の片鱗を感じる作品だったと思う。性とか狂気とか…。
最初、コレ、ヨーロッパ三部作なん??どこがヨーロッパと関係しているの?甚だ疑問でしたが、本人役としてウド・キアが自分の母親の亡くなる前の話を語るシーンで、母親はナチじゃないという台詞が印象的で、わざわざこの台詞を言わせたところから、
ここで描かれているのは、何に感染されているのかは分からないが、感染者は土の中に生き埋めさせられたり、挙げ句は感染を食い止めるために町ごと焼き尽くすといった、エピデミックという悪疫に関する物語とおもわせておいて、
実は、ホロコーストを描いているのかなと思った。まさにユダヤ人のアウシュヴィッツ強制収容。
あと、戦争なんてまさに伝染病だなと思った。一人ひとりが武器を放棄すれば誰も犠牲にならないのに、お国のため家族のためという大義名分で戦地に赴き犠牲を払うってマインドコントロールという名の伝染病やろ?と思った。
日本は島国で一民族だけど、ユーラシア大陸にはどれだけの国と言語があるのは分かってる。民族独立のための戦争があったのも知っている。日本よりはるかに民族主義や愛国心が強い国が多いけど、それと戦争や人殺しや暴力と何の関係があるん?人を殺す必要があるん?なんで暴力で解決しようとするん?そもそも戦うように仕向けるのやめてくれませんか?あんた達が言ってる愛って何なん?敵に対する愛はないの?
と言いたいとこだが、
何千年の世界の中で戦争がない年はない。必ずどこかでクーデターやら銃撃戦やらなんやらで無実な市民が巻き込まれ犠牲になっている。
戦争から何も学ばなかったのか?とずっと疑問に思っていたけど、学ばなかったというより、子供や大人たちがゲームの中だけで許させる戦闘ゲームに夢中になるのと同じで、戦争がしたくて仕方ないんだと私なりに分析。新しい兵器を開発したら性能を確認したいやん。作るだけやったら損やん。
全くもって意味不明やけどな!
戦争はいつだって純粋な人間が利用され犠牲になるねん。
「エピデミック」というタイトルの映画作品の脚本がデータから消え、仲間と共にもう一度書き上げようとするも出だしを思いだせない。というところから始まる。地上に出て生きていることを神様に感謝するというラストは決まっている。
プロットだけは書き上げたが肝心な脚本は出来上がらず、食事の席でプロデューサーに嫌味を言われる。
そこでというか、それを想定してか「エピデミック」の脚本を読んだことがある女性を招き、催眠術で内容を語らせる。だが、その女性はエピデミックの世界に入り込むあまり気が触れてしまい伝染病に感染してしまう。
いわゆる現実と虚構が入り混じた内容で、ラストは現実が虚構に食われてしまうオチが斬新とうか、ケラ作品を観てる感覚だった。
ラースが普通に本人役で演技をしていてめちゃくちゃ自然!普通に上手い。素人ぽさが全くない。めちゃくちゃ表情がぃい。
この作品を観てやっと今のラース作品の原点を観たと思った。そもそもアメリカに興味があったも台詞から伝わってきたし、なにより、サディスティックフェミニスト(女優の新たな潜在能力を引き出し、女優としての評価を上げる人。勝手に命名w)の片鱗が窺えた。まさに催眠術にかかる女性の狂気ぶり。催眠術にかかる前と後でのギャップが凄まじかった。
全体的には、タルコフスキーを崇拝している空気感が漂っていたし、アンチクライストやハウス・ジャック・ビルドでも描かれている幻想的なシーンの片鱗も窺えて、
寝てしまった時間と席がスクリーンに近過ぎて、字幕を追うと映像が観れなってしまうので余計内容が分からなったのが残念だった。
この作品が1987年制作。レトロ感漂うヨーロッパが1991年。サディスティックフェミニストぶりを遺憾なく発揮することになった奇跡の海が1996年。
変わり過ぎやろ!
ラースよ、何があった!?