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一宮友歩会・第105回ウォーク例会 河川探訪シリーズ・領内川編 part1 名鉄玉野駅から山崎駅まで歩く

2024-12-07 23:50:12 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第105回ウォーク例会です。
今回は名鉄玉野駅から山崎駅まで歩きした。
黄色く色づいた沿道のイチヨウの木。
祖父江町は黄色に染まっている。そんな印象を受けました。

名鉄玉野駅(スタート) → 光願寺→ 善福寺 → 阿古井池公園 →八剣社 →
広口池 → 山崎神社→ 坂井文助石碑 → 永帳寺 →領内川 →善光寺 →
祖父江の森→名鉄森上駅 → 布智神社 → 日光川 →ぎんなんパーク →名鉄山崎駅





第105回例会の地図です。
105map.pdf



集合場所が光願寺となっていました。
こちらで出発式を行いスタートしました。




最初に寄ったのが善福寺です。



善福寺の境内です。
尾張は日本のメソポタミヤであり
          木曽長良の両川はチグリス エウフラテスにあたる
尾張福士会の尽力で建てられた「福士幸次郎先生原日本考発想の地」の記念碑です。



阿古井池公園に向かって歩いています。
濃尾平野の真っ只中。
冬は寒風が強いだろうなと想像しながら歩きました。
この地なら、伊吹おろしと言うのだろうと思ったのです。



一宮友歩会の仲間のグループラインです。
このラインに伊吹おろしが小中学校の校歌に捉えられているのではと思いながら歩いたと書き込んだのです。
二人の教員経験者から反応が有りました。
やはり、この地方。
冬に伊吹おろしが強く、校歌の中に唄われているのでした。




阿古井池公園へ来ました。



神社へ来ました。
この場所、八剣社で有り上祖父江城跡でもあります。



八剣社内の石碑の解説です。
明治39年(1906年)に興業で欧州へ渡ったと書かれています。
花子の首、ロダン作となっています。
ロダンは1480年生1917年没ですから生存中の作品なのでしょう。



黄葉したイチョウ。



広口池へ来ました。
洪水調節のゲートです。



広口池の洪水調整の役割を表した解説板です。
河川土木の専門家、Y氏の解説が有りました。



玉野放水路、祖父江放水路の解説資料です。
日興側と領内川の水を広口池に集め、祖父江放水路で木曽川に流しています。



解説板の直ぐ脇に本居宣長と横井千秋の石碑が在りました。
横井千秋は尾張藩の宣長門下生と有ります。




山崎神社へ来ました。



山崎神社の東側に有った坂井文助旧跡の碑です。



戦国時代にこの地に居住した土豪・坂井氏の屋敷跡です。
初代・文助は、信長、信雄、秀吉に仕えて道中奉行を務めた。二代目・利政は尾張藩主に仕えて船奉行となった。しかし三代目・利知も船奉行となったが、事故を起こして、お家断絶、追放された。
その後は三河国(愛知県東部)へ移り眼病の医者になった。
この石碑の寄進者の姓が医学博士酒井利○となっている。
何時の時期に坂井から酒井に変わったのだろう。




黄葉したイチョウ。



領内川の横を歩きます。
ススキが繁っています。





黄葉したギンナン畑。



ギンナン畑のギンナン。
凄い数です。



DeLiいなかと言う店。
Googleマップにはうどんの店となっているがダンゴやタコ焼きの店です。
店頭に並んでいたギンナン。
1パックが100円と、格安です。
2パック買いました。粒の大きさもマアマアで、格安でした。






善光寺へ来ました。



今回、初参加の人が6名居ました。
ミンナの前に並び自己紹介が有りました。



初参加の中の一人。
善光寺で貰って来たボケないための五ヶ条です。
気持ちの若い人。
感謝の出来る人。
よく書く人。
感動を忘れない人。
旅の好きな人。    
これからも心掛けていきたい事柄です。




祖父江の森の横を歩きます。
この施設、市民の健康保持とスポーツ振興のための施設です。
温水プール、テニスコート、多目的広場。敷地内には図書館も有ります。



森上駅の駅前へ来ました。
モニュメントが設置して有ります。



日光川の川沿いを歩きます。



左側。
黄葉したギンナン畑です。



カモの群れ。
人の気配で対岸に向かって行きました。



ぎんなんパークへ来ました。
葉が落ちだしたギンナンの木。
ギンナンがビッシリと実っています。



先頭がぎんなんパークに入りました。



ぎんなんパークの展望台です。
ここで解散式となりました。



最期に
歩いていて、この辺り。伊吹おろしが強いだろうなと想像しながら歩きました。
そして、この伊吹おろしを校歌に取入れているのではなかろうかと想像しました。
グループラインにそんな想像をしたとアップしたら、二人から実際、校歌に入れられていると書き込みを貰ったことが嬉しかったです。
坂井文助の旧跡を訪ねました。
調べると二代目三代目が尾張藩の舟奉行を努めたことが判りました。
11月7日に「やっとかめ文化祭」で熱田の水辺から探る! ~湊町・漁師町・宿場町~に参加しました。
その中で、堀川に差し掛かった時に講師から対岸に尾張藩の御船蔵が有って、船奉行が千賀氏だったと解説が有りました。三代目の坂井利知が事故を起こして、お家断絶、追放となったので、その後任に千賀氏が就任したのかもしれない。
先日に歩いて解説を受けた事柄が結びつくのが面白い。






コメント
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