今回は津島駅をスタートして時計回りに歩き勝幡駅にゴールするものでした。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/44map.pdf
名鉄津島駅 ― 雲居寺 ― 清正公社 ― 天王川公園 ― 海西公園 ―
宗玄坊廃寺跡 ― 陽南寺 ― 常徳寺 ― 早尾の渡し跡 ― 姥ケ森社 ―
十二城跡 ― 六合庵址 ― 釜地蔵 ― 愛西市佐織公民館 ― 勝幡城跡 ―
勝幡神社 ― 名鉄勝幡駅
今年は早々に梅雨入り宣言が発せられましたが、この日は曇天でウオーキングには持って来いの空模様でした。愛知県の西部で濃尾平野の真っ只中の場所で、いわゆる海抜0メートル地帯を歩きました。
歩いたコースは度々の河川の氾濫する地域で、水との戦いの歴史だったと思います。
スタートは津島駅からでした。津島の意味は、周りが水面で、この場所だけが島となっていて津島と名付けられたのだそうです。
津島駅前での出発式です。
これから歩くコース説明がありました。
津島の古い町のところを歩きます。
津島上街道で、古い街道らしい雰囲気が残っています。
天王川公園を歩きます。
今は池になってしまっていますが、かつてはこの場所は川でした。
両側に堤防が築かれ太い木が残っています。
ここの左側には松並木が残っています。
この松並木を背景にして映画の撮影が行われたと地元のTさんが話していました。
大河内伝次郎が出演したのだそうです。
こんな生の話が聴けるのも、ウオーキングの面白さです。
大きな松の並木。
ここをバックに映画の撮影が行われたとのこと。
もちろん、白黒の映画ですが、チャンバラの映画。
想像するだけでも面白いです。
池には睡蓮が咲いていました。
宗玄坊廃寺跡まで着ました。
0メートル地帯です。
表示してある海抜が1メートルであり、根元の地面の高さは0メートルほどです。
幾度と無く、水に浸かった事でしょう。
こんもりとした森の中に神社があります。
これから向かう、増穿鵜戸川碑があります。
増穿鵜戸川碑の前で説明を聞きます。
この辺りは水との戦いで、水が足らないと取り、水が上手く流れないと隣村に送るとなり、争いが度々起こりました。
田植えが終わったばかりの田を見ながら歩きます。
常徳寺の近くまで歩いてきました。
高く積まれた石垣の上に蔵があります。
常徳寺の境内でランチタイムとなりました。
早尾の渡し跡です。
廃川となり、川が残っていません。
石碑が無かったら、ここに渡し場有ったなどと想像できません。
濃尾平野を東西に横切るとき、日光川や佐屋川など何本も河川が流れ、渡るのに苦労したことと思います。
説明板はこの辺りに高札が有り、人々の目に触れたとありました。
旅人も目にしたことでしょう。
佐屋川の跡に設けられた水路。
左は用水路で右は排水路で、水路の役目が別れています。
鬱蒼とした木に囲まれた姥ケ森社。
この場所はかつては古墳でした。
盛り土が流失し古墳の感じがしません。
十二城跡まで着ました。
ここに書かれている板垣冠者兼信と言う人は、明治に、自由民権運動に取り組んだ板垣退助の先祖となる人だそうです。
釜地蔵に来ました。
中に鉄製の地蔵が安置されています。
旧佐織町役場に着ました。
伊勢湾台風の時、この高さ迄、水が押し寄せました。
参加者は伊勢湾台風の記憶が残っている人ばかりです。
こんなのを見ても、話が合います。
上街道を歩きます。
両側に家が並んでいますが、堤防になっている道です。
勝幡城跡に着ました。
石碑が建ち、城跡だと想像できます。
広大な城跡ですが、日光川の改修で城跡が壊されています。
今は石碑で当時の姿を想像するだけです。
田植えの時期。
田植え機が忙しく走り回っていました。
勝幡駅前まで着ました。
駅前に有ったブロンズ像。
幼い信長が母親の土田の方に抱かれています。
勝幡城の模型。
低地の城であり壕が周囲を囲んでいます。
歴史が流れ、この場所から信長が、清洲城。小牧城。稲葉山城。安土城へと移って行きます。
梅雨入りしたとは言うものの、雨の気配は無く曇り空でのウオーキングでした。
参加者は42名。
16キロ余りのコースで、勝幡駅に付く頃には、みんながくたびれていました。お疲れ様でした。
道端の有った梅木の梅が大きくなっていました。時期で入梅と言う言葉が季節感に合致しています。池の睡蓮。田植え後の水田。見るもの全てに季節感を感じる事が出来ました。
目にするものよって、季節感を味わえるのもウオーキングの良さです。
今と往時の比較です。
佐屋川が廃止されましたし、この時はまだ津島線が通っていません。
今回、一緒に歩いたMさんのホームページです。
ウオーキングが詳細に紹介されています。ご覧ください。
友歩会第44回ウオーキング:下見・例会(詳細版)(拡大版)
【史跡巡りシリーズ・西尾張編part10】14km