弐水会から燕岳へ登る誘いを受けました。弐水会は毎月第2水曜日を活動の日と決めて山に登っている会です。今回は燕山荘の山小屋で1泊します。山小屋で泊まるのは、何時以来だろう。山小屋に泊まったのは記憶に無いほど昔のことです。
そんな状態ですので、お誘いを受けたことがとても嬉しかったです。
この日の参加者は男性が11名女性が10名で、合計21名の団体です。早朝に各務原市をバスで出発して北アルプスの登山口、中房温泉を目指しました。
体調を崩した人が出て、本隊とは別行動をした分隊です。
分隊のコースタイムです。
燕岳登山口(10:27) ― 第1ベンチ(11:15~11:24) ― 第2ベンチ(11:53~12:03) ―
第3ベンチ(12:43~13:08) ― 富士見ベンチ(13:50~13:55) ― 合戦小屋(14:39~15:26)
― 富士見ベンチ(15:47~15:56) ― 第3ベンチ ― 第2ベンチ(17:02) ―
第1ベンチ(15:29~15:31) ― 燕岳登山口(18:04~18:10) ― 中房温泉(18:15)
これから北アルプスに向かうバスです。
早朝、5時21分。
全員で21名です。
朝が早かったので、皆さん。眠りに包まれています。
バスは安曇野ICで高速から降り、北アルプスの登山口を目指します。
あの富士山に似た形の山は有明山です。
Hさんは、あの山を有明富士と言うのだと話していました。
中房温泉の登山口が近付いてきました。
駐車場には、平日にもかかわらず沢山の車が停まっています。
恐らく、日本全国のナンバーにお目にかかれる事でしょう
バスが中房温泉の駐車場に着きました。
各自、自分のザックを持ち登山口に向かいます。
登山口で、登山開始の前の準備運動です。
これから山道を歩きますので、念入りに脚のストレッチをしました。
燕岳の登山口。
ここから登りに掛かりました。
左側の画像で映っている建物は、中房温泉の「湯原の湯」で、日帰り立寄り湯です。この温泉の前を通過していきます。
右側は燕岳の登山口の指示標識です。燕岳への入口となります。
登り始めて、直ぐに急な上り坂となります。
急な登山道を登ります。
まだまだ、登り始めたばかりの段階です。
必死で登るKオジサンの後姿です。
急な登りが続きます。
やっと、第1ベンチに着きました。
素敵な表情の母娘。
このように親子、一緒に登る姿には、微笑ましいものがあります。
許しを得て、撮影させてもらいましたが、プライバシーの関係でモザイクをかけました。
お嬢ちゃんが、誰にも見て貰いたくなるような良い表情をしてくれました。
第1ベンチを出発しました。
こちらは男の子二人の家族連れです。私たちが登りますので、道を譲ってくれています。
先ほどは、女の子二人を連れた家族連れを見かけました。
家族で登り、下山して来た訳ですが、子供たちがこのような登り道を良く登ったと思います。
このように家族一緒に山登りができるのは好い事ですね。
隊列で登ります。
下山して来る人が、待っていてくれます。
ヨツバヒヨドリ。
もう直ぐ、アサギマダラがこの花の蜜を蓄え、長距離旅行に旅立ちます。
この花のほかにはオトギリソウを見かけ、撮影しましたが、上手く写せていませんでした。
別の場所でゴゼンタチバナを見かけました。登り始めた場所の辺りは既に花の時期が終わっていましたが、高度が増すにつれて残っている花を見かけました。
合戦小屋へ荷物を上げるケーブルの下を通過します。
第2ベンチに着きました。
第2ベンチで休憩を取り、再び歩き始めます。
第3ベンチに到着です。
ここで遅くなったランチタイムを取ります。左は若い単独の女性です。
何処から来たのと言葉を交わし、岐阜県可児市から来たと応えていました。同県の人であり、しかも若いオネーちゃんと有って会話が弾みました。
私たちは第3ベンチでランチタイムを取っていましたが、若い人たちのグループがパワフルに通過して行きます。
第3ベンチを出発します。
ようやく、富士見ベンチまで上がってきました。
合戦小屋へ
合戦小屋が見えてきました。
合戦小屋に到着です。
合戦小屋の由来が書かれています。
荷揚げのケーブル。
鉄塔の奥に見えるゴンドラで荷を上げます。
合戦小屋ではスイカが売られて居ますが、このケーブルで揚げています。
合戦小屋のスイカ
合戦小屋の名物。スイカを買い求めました。
合戦小屋のスタッフから受け取った時の画像です。後から気が付いたのですが、指先の爪。食べ物を扱います。このような爪先で好いのだろうかと思ってしまいました。
合戦小屋の名物、スイカ。8分の1の大きさで800円します。
私は8分の1の大きさまでは食べたくなかったのす。
登って来る列の後方で登って来ました。
前方の人はペアの相手が見つかり、相談して半分づつ分けていました。
スイカを半分づつにしませんか、と言っている女性を見かけました。
それで、彼女と一緒に販売している所へ行き、400円づつ出してお盆のスイカを受けてってきました。
初対面の女性と一緒にベンチに腰掛けてスイカを食べました。
彼女は東京から1人で来たと話していました。
列車で穂高駅まで来て、そこからはタクシーに乗って来たのだそうです。
東京には手頃な山が無く、遠くのアチコチに出かけているそうでした。
見ず知らずの女性と一期一会の出合でした。
このような出来事も、スイカが高いから、このような結果となったのです。
ウチのグループの女性と半分コしても、このような会話は交わせませんでした。
誰もが思ったのは16分の1で売ってくれれば好いのに、と言う思いです。
山からの撤退
第3ベンチでお昼の食事をして登ってきましたが、富士見ベンチの前辺りからSサンに高山病の症状が現れてきました。嘔吐を繰り返し脱水症状となったのです。
ご本人は、ここ合戦小屋で泊まらせてと申し込みましたが、宿泊させた前例が無いと、OKの返事は出ませんでした。Sサンの表情で、小屋のスタッフは陽が長い時期なので明るいうちに下山が出来ると、下山を勧めました。Sサンは単独で下山すると言いましたが、小屋のスタッフも、弐水会の会長も単独は良くないと言っていました。
Sサンと私が、この弐水会にオープン参加させて貰ったものですのです。一緒に下山するなら私が、と思いました。Sサンは自分のために私が下山することとなり、済まないと思ってくれました。これが逆の立場なら、また逆に行動することとなったでしょう。
山は安全第一で行動しなくてはなりません。一緒に下山するのは、仕方が無いことです。
Sサンに先に歩いて貰い、下山していきます。
合戦小屋から分隊は本隊と分かれて転戦します。
下山の途中、雲が低くなり、途中から雨が降り出しました。
体調を崩して下山して行くSサン。
そんなSサンに雨が降りかかる。
泣き面にハチと言ったイメージです。
翌日、分隊は雨に降られたと言いましたら、本隊は雨がパラパラと来る程度だったと話していました。そして美しい虹が見えたのだそうです。
山が高い山で、雨雲が下になったため、下では雨に降られたのですが、上では降られ無かったのです。
第1ベンチまで下山して来ました。
先を歩いてきたSサン。
苦しいのでしょう。
私が後を追いかけて来た時、ベンチで横になっていました。
登山口まで下山して来ました。
中房温泉の「湯原の湯」の前まで来ました。
ここで宿泊できると思っていましたが、ここは立ち寄り湯でして、宿泊できる中房温泉はここから300メートルほど奥へ入った場所でした。
お疲れ様でした。
中房温泉に来ました。
中房温泉の玄関です。
日本秘湯を守る会に加盟しているのでしょう。
守る会の提灯が下がっています。
中房温泉での夕食です。
私たちが到着した時、既に2人分の夕食を準備してくれていました。
Sサンは食べたく無いと言って食堂へは向かいませんでした。
Sサンは部屋で、ず~と寝ていました。
Sサンのオナカは空っポの状態です。
気分が好転して食欲が出た時用にお握りを握って貰い、部屋へ持って行きました。
最後に
合戦小屋で登頂を断念したことは残念なことですが、あの状況に置いては、私が一緒に下山して来なければならない立場ですので仕方が無い事です。
途中で下山となりましたが、久し振りに登った全国区の山です。
若い人たちの登山グループ。或いは親子での登山や家族連れでの登山を目にする事が出来ました。今の山の時代背景みたいなものを感じました。このように感じる事が出来たのも全国区の山に登ったので、知る事が出来ました。
また、合戦小屋で、女性と一緒にスイカを食べる事が出来たのも好い体験が出来ました。スイカを弐水会のメンバーと分け合ってもこのような体験はできませんでした。一期一会の出合でしたが、ず~と記憶に残る出来事でした。
合戦小屋から下山してきましたが、あの場所まで登って来る事が出来て、好い印象が残りました。