Kオジサンの新・山歩きの記

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一宮友歩会・第62回ウォーク例会  史跡巡りシリーズ・岐阜編Part9  大垣市赤坂町を歩く

2016-06-04 23:24:37 | 一宮友歩会

一宮友歩会の6月例会が開催されました。今回は大垣駅の北口を出発して大垣市の北部、主に赤坂町辺りを歩きます。その後は、勝山に寄ってから御首神社に参ります。その後は養老鉄道の北大垣駅に戻るというコースの予定でした。
時間が経過したことや会員の疲労度合を勘案して、御首神社で解散式を行いました。そして、全員がJR赤坂線の荒尾駅からワンマンカーに乗車して帰途に着きました。
6月例会です。私、Kオジサンがリーダーを勤めました。

JR大垣駅 ― 日吉神社  ― 荻神社 ― 笠縫の里碑 ― 受円寺 ― 大垣輪中堤
 ― 赤坂港跡  ― 赤坂本陣公園  ― 旧清水家住宅  ― 妙法寺   ― 金生山化石館  ― 昼飯大塚古墳  ―  旧早野邸セミナーハウス ― お茶屋屋敷跡 ― 御首神社
 ― JR荒尾駅




第62回ウォーク例会の地図です。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/62map.pdf




JR大垣駅北口です。
出発式で会長の挨拶。その後は準備運動をして、歩き始めました。




歩き初めです。
この辺りは鎌倉街道が通ってたことを想像できる道で、直線の道ではありません。




左は笠縫の里碑。この場所へは第55回例会の時に寄りました。誰かから、「この場所。以前来たこと有るねー」の言葉が出ていました。
右は、その石碑のところに信号機が有り、信号待ちです。





受円寺の門が見えます。
お寺に寄りますので、挨拶をしに先を歩く会長です。




受円寺の境内。ここで休憩です。
水分補給をするようにと、声が掛かっていました。
右は境内で咲いていたショウブです。




受円寺を出て、鎌倉街道を歩きます。
まだ、新しい鎌倉街道の碑が設けて有りました。




国道21号線の下を通過してきて、堤防に上がります。
右はピンボケでした。お許しください。



大垣輪中堤を歩きます。
サクラの古木が有ります。




大垣輪中の水防倉庫があります。





輪中堤防を歩いています。




田植えの準備の整った田を横に歩きます。
後ろの家屋。
4月の下見に来た時は工事中でした。




右は木に包まれた神社です。
こちらの田も準備が整っています。
田に水が入り始めました。




中山道を歩きます。
昔の街道と言う雰囲気がします。
これから赤坂の町。赤坂宿へ入っていきます。

今日のKオジサンの後ろ姿です。
今日はリーダーを勤めていますので、トップを歩いています。
右はリーダーで旗を持ちながら歩く羽島市のKさんです。






大垣市赤坂商工会発行のパンフ。
美濃赤坂から引用させて頂きました。
美濃赤坂駅から北が西濃鉄道で、貨物列車の路線です。
左で大久保や昼飯へも線路が延びていますが、今は廃線となっています。




赤坂宿の入口です。
左側に中山道の浮世絵が掲げて有ります。





赤坂港跡へ来ました。
前方の建物は赤坂港会館です。
右側に川が流れています。
港跡で、かつては、ここから船で物資を運び出していました。




地図を手元に説明するYさん。





Yさんが説明に用いた明治時代の古地図です。
東海道線が敷設された頃のモノです。敷設が完全に終わっていないのでしょうか。鉄道が今のような黒と白の線になっていません。
大垣駅でなく、大垣停車場となっています。
中山道や美濃路が確認できます。
街道で、並木の印がついています。
古い地図ですが、地図を眺めるのが面白いです。








旧清水家住宅です。
外壁が綺麗に整備してあります。




清水家の内部です。
ここに常駐する係員が説明してくれました。
清水家は江戸時代の住宅で、米屋を営んでいて、近代に入ってから医者となったと言っていました。




館内に展示して有った赤坂宿の航空写真。
姿が変わったのが判ります。




赤坂から石灰岩が貨物列車で運び出されると、みんなに、説明しました。
清水家にいた時、踏切を貨物列車が通過しました。
ピーピーと警笛を鳴らしながら空の貨車をディーゼル機関車が引っ張っていきました。
先頭の機関車は見えませんでしたが、貨物列車が通ると教えてくれたのです。






妙法寺の参道です。
赤坂宿のボランティアガイドの方が説明してくれています。
向こう側の二階建てが探訪館です。
赤坂宿は中山道の中でも大きい宿場町です。
皇女和宮の降嫁の際、街道の家々が整備したそうです。





金生山化石館へ向かいます。
登り坂になっていて、歩くのが少しキツイです。




金生山神社の境内で昼食の時間となりました。
思い思いの場所でお昼と成りました。




昼食時間を終え、全員写真の撮影です。




今日の参加者。全員で53名だそうです。
元気な人ばかりです。




撮影を済ませ、化石館に入ります。




館長が説明をしてくれました。
金生山からフズリナなど海の化石が発見されます。
金生山が海底だった訳ですが、この位置で海底だったのでなく、大陸が移動したしたように、赤道近くの南方からこの場所が移ってきたのだそうです。




館内の説明です。




化石館の東側の眺望です。
遠くに岐阜の金華山が見えます。





美濃赤坂駅を見下ろします。
単機。電気機関車が見えます。




金生山から下山して来ました。




昼飯大塚古墳へ来ました。
私たちが来た時に、他の人たちが登っていました。





古墳の階段を登ります。




私たちは歩いてこの古墳へ来ました。
後から、先ほど説明してくれたボランティアガイドの方が来るまで追いかけて来てくれました。
この古墳や関が原の合戦などを説明してくれました。




古墳の解説です。
この昼飯大塚古墳は前方後円墳で、150メートルの長さがあるそうです。
この東海地方では名古屋市の断夫山古墳は151メートルで最大だそうです。
1メートルの差で、2番目の大きさだと言っていました。


昼飯大塚古墳から旧早野邸セミナーハウスへ向かい、その後に勝山に行く計画でした。昼飯大塚古墳で説明してくれたボランティアガイドから勝山は入山が出来ないと言われました。
安楽寺の境内となっていますが、裏側から表側へ通過するだけなのです。勝山を通ろうと思っていましたが、断念しました。
勝山はお勝山と呼ばれ、関が原合戦の時、陣が張られたところです。歴史観点からも価値のあるところなのですが、こり現状なのは惜しい場所です。




勝山に寄らない代わりに、お茶屋屋敷跡に寄りました。
ここは綺麗なボタンが見れるところですが、時期が終わっていました。





歩いて来て、御首神社に来ました。
この神社は平将門に由来する神社です。
http://www.mikubi.or.jp/profile.html
字の如く、首から上の大神様です。




神社の境内で体操を済ませ、解散式を行いました。




神社で解散式が済みましたが、全員がJR荒尾駅から乗車します。





列車の待ち時間。
石灰岩を運ぶ空の貨物列車が美濃赤坂駅へ向かっていきました。

You tebeに石灰岩貨物列車が有ります。
https://www.youtube.com/watch?v=JN-Mk1iOrFI

https://www.youtube.com/watch?v=XOEZbmpRdYg
石灰岩貨物は、日に3本走るそうです。
新日鉄へ運ぶのですが、そのウチに石灰岩が枯渇してしまわないかと思います。



15時43分の大垣行きが来ました。

今日は第62回の例会でした。
今回は大垣市の北部。赤坂地区を中心に歩きました。
毎度、なじみの人達と顔を合わせました。
何れも健脚な人ばかりです。

宿場町の雰囲気を味わうと供に、巨大な前方後円墳を見る事が出来ました。






一緒に歩いたMさんのサイトです。こちらもご覧下さい。
http://www.geocities.jp/jk2unj/62reikai.htm

コメント
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