ウオーク同好会の5月例会です。
今回は各務原市の那加町を歩くと言う企画でした。大正9年に高山線が岐阜から各ヶ務原まで敷設され、那加駅が誕生しました。その頃、駅が出来ても駅前には何も無かった。そんな時代から100年が経ちました。そんな那加町の生い立ちを知る。そう言う所を見てきました。
那加駅前の地図です。
私は午前中に用事があり、途中から参加しました。
中央図書館が集合場所となっていて、歩きだした皆さんです。
皆さんに追いつきました。
会長が説明しているのは那加東映の跡地です。
今は花屋と床屋となっていますが、かつては映画館だった場所です。
会長が持参した資料写真です。
那加東映の入口でした。
今、この建物は無くなっていますが、電柱が木柱からコンクリート柱となり同じ場所に立っています。
子供のころ、那加東映へ母親に連れられてきたことが有ります。
アノ頃、那加東映は東映と日活の映画を上映していました。
那加地区にはもう1箇所映画館が有りました。中央劇場と言う映画館で東宝と大映の映画を上映していました。
JR那加駅に来ました。
新那加町の秋葉神社です。
かつて、秋葉神社は表から見えていましたが、今は消防車庫に隠れてしまいました。
秋葉神社と皇紀二千六百年年の石柱です。
消防車庫の裏側に秋葉神社が有るとは知りませんでした。
新那加駅前のいとしろ屋です。
饅頭が並んでいました。
楽天地町の秋葉神社へ来ました。
先の大戦の空襲で爆弾が落とされました。
「那加町戦災思ひ出の日」で、左には読み難いですが昭和二十年二十二日と刻まれています。この空襲で多くの人が死傷しました。各務原市ではこの日を「平和の日」としています。
なお、この石柱は今尾さんと言う個人が立てたものです。
那加町の町並みに付いて説明する会長。
那加町の町並みです。
駅が出来ても駅前には何も無かった時代。
少しづつ家屋が増えていきました。
右側の縦の道中山道です。
左側は各務原鉄道でまだ、単線です。そしてその左が高山線です。
駅前に何もなかった時代から那加駅の駅前として発展を始めています。
各務原市民公園へ戻って行きます。
資料として配布された各務原市歴史民俗資料館発行の「資料館だより」から引用しました。
丹羽、二宮、岩井、河田と言うのは稲羽地区の名前。今尾とか小島。浅野や北川は那加の旧の名前です。那加駅前にどのような店が有ったか判ります。
最後に
今回は那加町探訪で那加駅前を歩きました。
会長が資料として古い写真を持参してくれました。
温故知新と言う言葉ある様に自分の住んでいる街を振り返る。
隠れていた秋葉神社を知ったりできて面白かったです。