日暮らし通信


その日暮らしの生活でも、感謝しています

日頃、見た事・聞いた事・感じた事・そして言いたい事などを発信します

柿 熟す

2014年11月16日 15時07分36秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

柿 たわわ成る

空堀川沿いの民家にて



● 写真の上でクリックしてご覧ください ●




今日10時過ぎ、妻と歩きで家を出て買い物後、少し足を伸ばして空堀川沿いを歩いて帰ってきた

すっきりとした晴れでは無く、やや風も吹いているが寒さは感じない

野塩橋手前から左岸を上流に向かうと、右手には民家が続いている

暫く歩くと突然妻が ”なんで もがないのかなあ~” と指差したのは、民家の庭でたわわに成っている柿の実だった

この時期、歩いていると妻は時々そのような言い方をする

柿好きな妻からすればもがずに成っている実に勿体なさを感じるのであろう

妻の言う通り、柿の木がある家ではまず実を収穫することはなく、いつかは鳥たちの好物の餌になってしまう

その家の事情でなぜ収穫しないのかは判らないが、まずは食べる果物のリストには入っていないらしい

私は熟れた柿の実を見ると、子供の頃を想い出す

戦後のある時期までは甘さに飢えた子供にとっては、あの美味しそうな色をした柿の実は格好の食べ物だった

この辺りの庭持ちの家だったら必ず甘柿の木があったが、それは勿論、果物として食べるのが目的だったから、成り時期になると柿をもぐ風景が見られたものだった

当時は今と違って柿の実は貴重品、他家の柿の木に登って実を失敬しようと登ったのはいいが、怖い大人に見つかってどなり飛ばされた事は今でも想い出す

今は庭の柿の実などに興味を示すことはまず無くなった

旧宅では柿の木が二本あってほとんどは収穫し、渋柿は妻と皮をむいて干し柿にしたから、妻はそんなことを想い出しているのだろう

まだ当分、熟れた柿の実が見られるから妻の興味は減りそうにもない


   里古りて 柿の木持たぬ 家もなし   松尾芭蕉