今日もすっかり梅雨模様。湿度も上がってきたから徐々に夏に変化していくのだろう。
8時半前、表の様子を見ると何となく雨が降りそうな空の様子なので、私は傘持参でMと川沿いを歩いた。
雨が降ったらどうしようか? と、念じながら歩いたが幸いにも雨は降らなかったので助かった。
帰り際、都営住宅前の花園で 「桔梗 (ききょう)」 が一輪、誠に鮮やかに花開いていた。
私はこの桔梗の花を見ると、何故かあの明智光秀を想い出す。
明智家の家紋は 「桔梗紋」 だが、この紋は桔梗の花をそのままあしらったもので、愛らしい印象深い家紋でもある。
しかし、この家紋を使っている有名な偉人や武将が悲劇に巻き込まれていることから 「悲劇の家紋」 と呼ばれているが、それで有名なのが明智光秀だろう。
戦国時代に活躍した明智光秀は、本能寺の変で織田信長を討ったことから天下人に近付いたが、その直後に豊臣秀吉に敗れた。
「三日天下」 という言葉までできてしまったほどの有名な明智光秀も、桔梗紋を使っていた武将だった。
その他、あの坂本龍馬も桔梗紋を使っていたから、この両人を持ってしても 「悲劇の家紋」 と言えるだろう。
私が四十代の頃、日本の家紋について調べることに熱中したことがあった。家紋にはそれぞれの歴史があり、興味の尽きない日本固有の伝統や文化がたくさん秘められていた。
今日、見た桔梗一輪、その明智光秀は何故、本能寺で信長に戦いを挑んだのであろうか? 真実を知りたいものである。
|