諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

本来の弁才天像。

2013年06月15日 00時30分11秒 | 神道

以前、「初めて見る市杵嶋姫像」と言うタイトルで、6本腕の市杵島姫像に付いて書きました。宮城県丸森町の某神社に鎮座する御神体が、その市杵島姫像でした。流石に驚きました。

そこでですが、「市杵島姫=弁才天」な訳です。だったら6本腕の弁才天があっても可笑しくないですよね。そう考えて探しましたら直ぐに見つかりました。何と鎌倉市にあったんです。

鎌倉と言うと、琵琶を持った半裸で白い肌の弁才天が有名です。しかし、その6本腕の弁財天は6本の腕に剣や斧(ヨキ)、弓等を持っています。どうも有名な琵琶を持つ弁才天より、この6本腕の弁才天の方が古い様です。

どうも本来の弁才天は、このように剣等の武器を持った姿をしていたらしいですね。

元々、弁才天は呪術の神です。相手を呪い殺す為の神です。この姿の方が本来の姿の様に思えます。多分、後年になって平和的な神に変えられた様に思います。

実は私、「アマノウズメ尊=弁才天」だと考えます。互いに半裸で描かれたりしてますから、そう思っている方も多いはずです。

何れ詳しく述べたいと思いますが、もう1つ理由を挙げると、アメノウズメ尊は五十鈴の付いた鉾を持っている点です。

五十鈴と言えば市杵島姫を祀る天河大弁財天社をイメージします。そんなとこから、アマノウズメ尊が弁才天であると思えるのです。

アマノウズメ尊は天照大神曰く「か弱き女の身でありながら、どんな神にも対抗出来る神??」とか言っております。まあ、これは「弁が立つ」と言う意味もあると思いますが、、鉾を持っている事から本来は武神であったと考えます。

っとすると、6本腕に剣や斧、弓等を持っている弁才天の方が、本来の弁才天じゃないでしょうかね。もっとも6本腕の弁才天の方が古い訳ですから、尚更その様に思います。

では何故、弁才天が6本腕なのか。これは以前にも書きましたが、熊野権現の仏号が千手十一面観音なので、その流れから6本とも考えられます。

そしてもう一つ。これは以前から考えを巡らせていたのですが、弁才天は手長足長ではないかとも思えるのです。

厳島神社では「市杵島姫=弁才天=十一面観音」としてお祀りしています。その十一面観音の腕は、膝まで届く程長いです。そうなると手長の体型とよく似ています。

腕が膝まで届くと言えば、三国志の蜀の皇帝・劉備玄徳の身体の特徴ですが、腕が膝まで長い身体は「徳のある人物」の相とされています。その考えから十一面観音の腕が長いのだと言われれば、グウの音も出ません。

でも、6本腕となると話は別です。

足長は手長をおんぶして貝を拾ってたり、漁をしたりしてます。その姿はまるで巨大な蜘蛛です。おんぶされている手長の足は腕の様に見えるとしたら、6本腕の弁才天によく似ていると思います。

そんな訳で「弁才天=手長」、もしくは「弁才天=手長足長」ではないかと思います。

そこに瀬織津姫を更に絡めますと、福島県にそれを暗に示している伝説があります。

蝦夷の鬼・大竹丸の伝説ともよく似ています。

これらの話は、いずれ機会があれば申し上げたいと思います。

 

ではでは。

 

コメント
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