以前、「瀬織津姫と書いて、ショウリツ姫と読む!?」と言うお題で書き込みました。瀬織津姫を祀る、九州・宮崎県の速川神社ではそう呼んでいるんですね。
「何故、そう呼ぶのかなぁー」と問題提起的に書いたのですが、「ショウ=背負う」なのではないかと、何時もコメント頂いている天比古さんの考えを聞いて、「なるほどなぁー」と思った次第です。
「瀬織津姫=奪衣婆」とされていますが、死人の衣類(罪)を奪う奪衣婆は、死人の罪を代わりに背負う訳ですから、意味が繋がりますね。
私、この考え、暫く頭から離れませんでした。もしかしたら、更に発展出来るのではないかと思えたからです。そして、それは奪衣婆のもう一つの呼び名である「ショウヅカの婆」に、やはりヒントが隠されているのではないかと再度考えて見ました。
そしたら何の事はない。「ショウヅカの婆=葬頭河婆(ソウヅカの婆)」とも言うみたいなんです。そして「葬頭河」は「三途の川」と同じ意味だったんです。つまり「奪衣婆=葬頭婆」と言う事ですね。
「ショウと葬(ソウ)」。ちょっと発音は違いますけど、まあ、同じと考えて良いと思います。
「葬」の字を直訳しますと、草冠に死、そして一番下の字はムシロを意味します。つまり「葬」の字は、「草の下にあるムシロに包んだ死体」って意味なんですね。
漢字は当然、中国から伝わっています。中国では死者を埋葬する時は、草の下に埋めると言うか、ただ単に「土の下に埋める」だけ。それが古代中国の死者の弔い方だったと思います。
そして「頭河(ヅカ)」。「頭河=塚」。つまり「頭河=墓」と言う意味になります。これはどう言う事なんでしょうねぇー。
「頭河」をそのまま直訳すると川の頭なんですから、「川の上流(源流)」と考えられます。そうすると、「瀬」や「瀧」も川の上流に位置しますので、瀧の神・瀬織津姫に通じますね。第一、瀬織津姫には、「瀬」の字も付いてますしね。
そしたら、ちょっと疑問が浮かびます。もしかしたら、もしかして川の上流や瀧は、縄文の時代、若しくは蝦夷と呼ばれる原日本人にとって、墓だったのではないかと言う事です。
これ、ちょっと思い当たるのです。
私、これまで平将門公の息子、もしくは家来だったと言われている「永井平九郎」について書いて来ましたが、「永井平九郎」もまた祀られている「御鍋神社」の隣を流れる川に埋葬されているんです。その場所は「平九郎谷」と言うのです。
私、川に埋葬されるなんて考えられませんでしたから、「永井平九郎」は追っ手(多分、俵藤太こと、藤原秀郷)に殺され、川に打ち捨てられたのではないかと考えていたのですが、平将門公の時代にも「川に流す=埋葬」の風習が残っていたのかも知れません。
もしかしたらですが・・・・・。
つづく。