諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

瀬織津姫と書いて、ショウリツ姫と読む!? 【葬頭河婆編】 その2

2013年06月18日 01時31分03秒 | 瀬織津姫

続きます。

考えてみれば、遺体を川に流して埋葬するやり方は、インドのガンジス河で古来から現在まで行われています。

「三途の川」の考え方は中国の十王教からの流れですが、そうなると元々はインドのガンジス河が発祥かも知れません。

「弁才天=瀬織津姫」とされていますが、仏教伝来とともにインドから中国、朝鮮半島を通って「本来、遺体は川に流すもの」と言う考えが日本に伝わった可能性もあります。

でも、大国主の末裔とされる「富當雄氏」の口述の書である「謎の出雲帝国 吉田大洋著」によると、古代出雲の埋葬は、死者は汚れた物とする考えから、しばらくの間、木の上で風葬にされ、骨皮と化してから宍道湖に捨てられていたと伝えています。

これ、案外正しいのではないかと思うんですよ、私。

だって、「宍道湖」の「宍」の字は「人間の肉」と言う意味です。「人間の肉の道」と書いて「宍道」です。「人間の肉」と言う言い方は、死んだ人間を意味していると考えられます。その死んだ人間の道の湖ですからね。川と湖の違いはあるにせよ、日本では古来から死者を川や湖、更には海に流していたと考えても可笑しくはないです。

まさかとは思いますが、「全ては水に流して・・・」と言う言葉も、ここから出ているかも知れませんわね。

そう考えると「ショウリツ姫」の「ショウ」が「葬」であっても、川の神であり、瀧の神でもある「瀬織津姫」と関連しますよね。これも一つの回答の様に思います。

 さて、ここで、更にもう一つ問題提起したいと思います。

「塚=頭河」であるなら、「瀧」は一体何を意味しているのか。元々は「垂水」と呼ばれていた「瀧」ですが、何故、「瀧」と変える必要があったのか。

この考えは瀧に・・・・・じゃない、多岐に渡って考えられるのですが、次回、アイヌ語で考えたいと思います。

 

チョット今回、短いですけど、ではでは。

 

コメント (2)
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