諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

本当に龍が見えるのか、再び考えてみた。その3

2015年08月05日 21時40分17秒 | 神道

続きます。

龍の存在で一番疑問なのは龍は地域限定と言う事です。これは不思議です。

先ずはエジプト。エジプトは蛇神信仰。コブラを信仰しています。龍なんていません。いた形跡もありません。コブラが怖くて龍が入ってこれない訳ではないでしょうが、龍が本当に存在しているならエジプトにも伝説位は残っている筈だと思います。

仏教発祥の国であるインドの場合はどうか。インドの神話には竜王ナーガ、竜女ナーギの伝説が伝わってます。ヒンドゥー教の神です。

竜王・竜女であるなら龍ではないとかお思いでしょうが、この神々は上半身が人間で下半身が大蛇です。実際はワニとの説もありますが、経典等に「コブラそのものの姿」と記述されています。つまり蛇神なのです。

仏教は日本でも神道と交わり日本独自の仏教解釈となっていますが、本家のインドでも仏教は衰退しヒンドゥー教と集合。これまた本来の解釈とは違ったものになってます。

釈迦が悟りを開く時にナーガが守護。それで仏教に竜王としてナーガが取り入れられ、仏教の守護神となった。そして法華経ではナーガは八大竜王とされ、天候を左右する力を持つとされます。

では何故ナーガが八大竜王になったのか。それは中国を通過して日本に伝わったからです。

ナーガはコブラを神格化した蛇神ですが中国にはコブラはいない。しかし、コブラはただの蛇ではない。それでインドのヒンディー語やサンスクリット語を中国語に訳した漢訳経典では、コブラと訳せず竜と翻訳された。そして竜・龍として日本に伝わったと言う事です。

こういう翻訳の間違いはキリスト教の聖書にも多々あります。ヘブライ語から英語等の外国語に訳されたのが違った意味合いで伝わってしまったのです。

例えは「十戒」や「処女受胎」です。本来の意味・解釈とはかなり違ってます。

その矛盾点を何故キリスト教関係者が正さないのか不思議です。こんな事書くとキリスト教関係者に怒られそうですが、今更正すと面倒な事になるからだと私は思いますね。

キリスト教は多くの宗派があって自分たちの解釈に拘り、ちょっとした事で争っていますから、今更解釈が変更したら大変な事となります。こんな事は考えないに越した事はないです。面倒なことになりますから。

話はそれちゃいましたが、日本に伝わっている八大竜王が龍ではなく、コブラをルーツとする蛇神だと言うことを知っている人はどれだけいるでしょうか。

龍が見えるヒーラーさん達は八大竜王を前にして「竜神様がいる。龍が見える」とか言うのでしょうけど、私が八大竜王だったら「ワシはコブラだ。誰が龍じゃ、この中国かぶれが。間違えるんじゃねぇー、カプッ」とヒーラーさんを一咬みしちゃいます。

やはり神は本来の姿で感じるべきだと私は思いますね。

ところで竜王ナーガ、竜女ナーギですが、日本の始祖神と言えるイザナギ尊・イザナミ尊と発音が似てますよね。兄弟で夫婦と言う点も同じです。もしかしたら日本神話のイザナギ尊・イザナミ尊は、ナーガ・ナーギがモデルではないかと思えてしまいます。

そう考えると神道は仏教から来ている事になります。古事記・日本書紀は仏教が伝来してから書かれている書物です。「ありえない」とは言い切れません。

うーん、これを考えると今までの神道の考えが全部御破算になりそうで怖いです。これは何れまた考えたいと思います。

 

続く。

 

コメント (7)
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