諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

本当に龍が見えるのか、再び考えてみた。その6

2015年08月13日 04時32分42秒 | 神道

続きです。総括に入ります。

龍とは一体何なのか。元々はインドのコブラ信仰が仏教と共に中国に伝わった訳ですが、中国にはコブラはいない。コブラは通常の蛇ではない。頭部が団扇の様に広がる。そして鎌首をどんな状態でも上げられる。だから中国では蛇とはせず竜とした。つまり竜は蛇の仲間ではあるがそれを超える存在。

また、竜の交尾は一旦小型化し蛇になって行うとされる。それは竜は蛇だったが進化したと言える。

進化は神格化となる。ナーガ・ナーギ、フッキ・ジョカがその姿。たから空海は人頭蛇尾の蛇神を龍神として描いたと思います。

では何故日本に龍が入って来て、これほどまでに信仰を集めたのか。

日本には得体の知れない神がいた。その神の名は「辰」。否、「辰」は中国語だから「タツ」の方が正しい。この「タツ」とは一体何なのか。

「タツ」に似た神獣で「蜃」がいます。蜃気楼の「蜃」です。蜃気楼は密度の異なる大気の中で光が屈折し、物や風景が浮き上がって見える状態を言います。

昔はこの「蜃」の正体は大蛤とされ、その大蛤が貝を開き気を発生させ砂漠にオアシス等々の幻覚を見せるとされていました。それが蜃気楼です。

「タツ」は土から立ち上がるエネルギーと申しましょうか、気体、否、気なのでしようか。

土から草木が生まれ育ちますが、草木が「タツ」であると言えば間違いではありません。草木は土からのエネルギーによって空に向かって育ちます。土から、地下から生まれ昇っていく存在が「タツ」です。

竜巻も虹も地下(水辺の場合も・・・)から上に向かって立ち上がります。故にそれらも「タツ」と言えます。

だから「タツ」を見た人はいません。エネルギー、或いは気なのですから。

強いて言えば冬眠から覚めた蛇は土から這い出てくる。故に蛇は「タツ」同様、土から産まれると思われていた。だから「タツ」の姿は見えないが、蛇に似ていると考えられた。そして「タツ」は蛇神信仰に結びついたと考えられます。

以前話をしましたが、平泉に十二支の社がありました。私は辰年生まれなので辰の社に向かった。その社に彫られていたものは「タツノオトシゴ」でした。この社を造った方は龍を彫らなかった。それは龍は辰ではないからです。かと言って巳年があるから蛇を彫る訳にはいかない。草木では干支にならない。

「タツ」は気でありエネルギー体だから姿がない。仕方なく「タツノオトシゴ」を彫ったのだと私は思います。

「タツ」は「立つ、建つ、絶つ、経つ、発つ、断つ、起つ、達・・・・」等々、多くの意味合いがあります。「タツ」の文化は日本の文化と言えます。それでは「タツ」と「神道」はどう繋がるのか。

「神道」は1500年代、イエズス会の外国人が日本の宗教に対して名付けた宗教名です。「シントウ」は日本語じゃなく外国語なのです。

日本には仏教の他に把握が難しい宗教の様なものがあるが、その宗教の様なものには名前がない。それでイエズス会の者が「シントウ」と名付けたのです。

その「シントウ」が「神道」として日本に生まれたのは昭和12年。神祇史とする日本の宗教についての大学の授業が、神道史として改められたのが最初です(剣術の神道流は既にありましたけど・・・・)。

神道は神祇だった訳ですが、この神祇、今でこそ「シンギ」と読んでいますが、その昔は何と読んでいたのかお判りでしょうか。何と「神祇」と書いて「タツ」と呼んでいたんです。これはどう言う事でしょうか。

私、神道は宗教では無いと考えます。決まった商標が無かったのですから。否、無くても良かったのです。神道は日本人の生きる道、日本人の生活そのものでしたので。

つまり何か心配事や問題が発生したら、自分の親に相談する如く神社を通して祭神に相談していた。頼み事をしていた。日々の生活を感謝していた。それが日本人の生活。神社は生活の一部。だから宗教的な感覚が無かったと私は考えます。

そして「神祇」を「タツ」と読んでいた。それは「日本の神=タツ」。日本の神は目に見えない存在。神は感じる事のみ。それが神道だと私は思います(上手く説明出来ませんけど・・・)。

そして龍は「タツ」と結びついた。「タツ」は見えない。日本の龍神は「タツ」。だから見る事は出来ない。日本の神々も見る事は出来ない。それが今の所の私の考えです。

それだけではなく龍神信仰は「タツ」は見えない故、指標が欲しかった。

更には「神道の蛇より仏教の龍の方が上」とする仏教側の優位性を示すのが目的もあったと思われます。

更に更には龍となった男、そしてその龍神の国と戦う為に日本側も龍を神道に宿したことが日本の龍神信仰に繋がっています。この件は機会がありましたらタイトルを変えて話したいと思います。

以上、龍に関して述べさせて貰いました。正直、私の本名は龍に追する名前ですし、死んだ従兄弟の名前も龍です。本当は龍神は九似の龍神の姿であって欲しかったと心のどこかでは思っています。でも、やはり真実が知りたい。これまでの話は私の現時点の真実を追究した考えであります。

しかし、人生は諸行無常。同じ事は続きません。もしかしたら何時の日か「私は龍を見た。私には龍神が付いている。私が龍神である。皆の者、跪け」と言うかも知れません。

その時はまたこのブログで発表します。多分、精神病院の鉄格子の部屋でパソコンを叩いての書き込みになるでしょうけど。

 

ではでは。

 

コメント (2)
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