以前、「足柄山の金太郎は坂上田村麻呂で間違いないと思う」と題して記事を書きました。実は思っていたのですよ、桃太郎も坂上田村麻呂がモデルではないかと。
昔話に詳しい人なら桃太郎のモデルは吉備津彦命であることは知っていると思います。私もその説に異を唱える訳ではないのですが、少なからず坂上田村麻呂のエッセンスが混じっているのではないかと考えます。昔から引っかかる点があったのです。
その引っかかる点は話の出だし、「昔、昔、あるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。お爺さんは山に柴刈に、お婆さんは川に洗濯に行きました」の部分です。
お婆さんが川に洗濯に行って桃太郎が入っている桃が流れて来たのですから、通常の人は疑問にも思わないでしょうけど、お爺さんが山に柴刈りに行っている。何で芝刈りなのだ。それがこの物語に何の関係が有るのかが疑問だったのです。
だっておかしいでしょ。あえて柴刈にしているところが。田植えに行っている。猟に行っている。大根を掘りに行っているなら疑問にも感じませんが、柴刈りってそんなに重要でもないと思うし。
否、山の木々を剪定するのは重要か。それに柴を燃料にして暖を取るのも重要か。うーん、難しいな。
否、否、柴刈りと洗濯のペアが不思議です。山で芝刈りとなると柴神・阿須波神(志波彦神とされる)、川で洗濯なら瀬織津姫(志波姫神とされる)をイメージするので。
鬼渡神社では阿須波神と波比岐神がペアで祀られているケースが多いですが、波比岐神はアラハバキ神の可能性が高い。つまり猿田彦命とアメリウズメ命、更に男女の道祖神、賽ノ神に繋がると考えられる。だから「山に芝刈り」と「川に洗濯へ」は引っかかるのです。
仮にお爺さんが阿須波神でお婆さんは瀬織津姫だとすると、桃太郎はその息子になるのか。
桃から産まれたならそれは違いますが、本来の桃太郎のストーリーから考えるとそうなるのですよ。そして坂上田村麻呂の母親である悪玉姫の伝説に被る点がある。そしてその証明は聖婚で解明出来ます。今回はその点を考察したいと思います。
それでは先ず知っているとは思いますが、現在の桃太郎のストーリーを念の為に説明します。
「川から大きな桃が流れて来て川で洗濯していたお婆さんが拾った。お婆さんはその桃を持ち帰り、お爺さんと一緒に食べようと桃を包丁で切ろうとしたら、中から赤ん坊が出てきた。桃から産まれたから桃太郎と名付けられた。すくすくと成長した桃太郎は悪さをしていた鬼が住む鬼ヶ島へ鬼退治に行く事を決意する。お婆さんは黍団子を桃太郎に持たせる。途中、猿、犬、雉と出会い、黍団子を餌に家来にする。そして鬼と対決。大勝利となり鬼が持っていた金銀財宝を奪って家に持ち帰る。そしてお爺さん、お婆さんと幸せに暮らしたとさ」って感じですかね。
実際、このストーリーは多岐に渡っていて、桃太郎が鬼退治で鬼ヶ島から金銀財宝を持ち帰ったが、その金で贅沢三昧、グウタラ三昧に暮らした。桃太郎は何時も酒を飲み酔っ払っていた。それを見た鬼達は「何であんな奴に負けたんだ、チクショー」と悔やみ、酔い潰れている桃太郎に逆襲。奪われた金銀財宝を桃太郎から奪い返し、鬼ヶ島に持ち帰ったと言うパターンもあります。
どこにそんな話があるのか気になるでしょ。実は桃太郎の伝説は日本中にあります。それに付随して桃太郎神社も全国にあります。
実は宮城県の石巻市旭山にも桃太郎神社が鎮座し、上記の桃太郎が負けた伝説が伝わっているのです。因みにこのあたりは桃生郡(ものうぐん)です。
桃生って桃から産まれた桃太郎の地っぽいでしょ。本当はこの「桃生」の「桃」ですが、「物の怪」の「モノ」。つまり魔物。強いては鬼の意味と取れます。鬼が生まれた地ともとれます。
また定説となっているのは、アイヌ語の「モムヌプカ(流域の丘)」が「桃生(ものう)」となった説です。そうかもしんないです。どっちにしても鬼の正体が蝦夷なのは間違いないと思います。
そしてこの伝説の鬼ヶ島なんですが、実は金華山の事です。つまり金華山に鬼(蝦夷)が住んでいた。桃太郎も来たと言う事になります。
金華山は昔は金が採れていた。その金を奪った桃太郎。石巻は蝦夷の拠点の土地だから桃太郎が鬼に仕返しされたストーリーになったのだと思われます。
続く。