諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

清水富美加の「幸福の科学」出家に想う。

2017年02月13日 08時12分44秒 | 出版・テレビ・CM・ドラマ・映画

残念です。清水富美加が幸福の科学に入信していたなんて。出家して芸能界を引退するなんて。

私、いい歳して特撮が好きなのですが、ずっと見ていたのです。仮面ライダーフォーゼを。主役が福士蒼汰、ヒロインが清水富美加。ちょっとプッツンな女子高生の役柄を演じていたが、無理して弾けているなぁーと思っていました。本当は大人しい性格だと思えたので。

あの優しげでファニーな表情から周りの人からあーしろ、こーしろ色々言われているんだろうなぁー思っていました。

彼女は人に意見されやすいと言うか、気安い顔をしています。こんな人は何だかんだ言われるのです。怖さがありませんから。

私もそうです。だから集団で生きるのが辛くなる。女優なのだから色々な役柄を演じなければならないのでしょうけど、優しいから誰の言う事も聞いてしまうのでしょう。そして雁字搦めになってしまう。もう限界だったのでしょうね。

こう言う場合は休むのが一番です。自分で良く考え自分で判断する。そして少しづつ強くなって再開すれば良い。休むのも人生ですから。

彼女には親身になってくれる第三者がいなかったのでしょう。否、いたとしたら幸福の科学だけだった。幸福の科学しか頼れなかった。それが残念ですね。

私も幸福の科学の信者の人と接点があります。人としては素晴らしい方です。不思議ですが創価学会、エホバの証人の信者も素晴らしい人ばかりです。

私の家のアパートを建てた工務店の社長も山形の新興宗教の信者でした。この人は会社をたたみ、そこの教祖に会社と自宅を奉納。そして教祖のドライバーになりました。私の家はメンテナンスに大変苦労しましたよ。勝手に辞めるなんて。

でもこの方も仙台の建設業界には滅多にいない良い人でした。やっぱり良い人は宗教に走ってしまうのでしょう。宗教が理想郷に思えてしまうのでしょう。

私も若い頃は多くの新興宗教の勧誘を受けました。しかし私は性根が捻くれている。直ぐに疑問に思う。自分自身に対しても疑問を感じている。だから自分で判断できない。だから調べる。自分で答えを出さねば気がすまない。だから教祖直々の勧誘にも疑問点で返しました。教祖は答えられず。それが人間の限界だと思いました。だから私は人を信仰しないのです。

古本屋に幸福の科学の教祖の本が並んでいます。これは聞いた話で未確認ですが、話によると毎回その本の内容で試験してパスすれば、その組織で上に上がっていくシステムと聞いています。だから試験が終わったら教祖の本は用が無くなり古本屋に売られるみたいです。

日本人は試験好きですが、試験で神に近づけるのでしょうか。そんなの何の役にも立たないと私は思います。教祖は神でも何でもありません。ただの人間です。馬鹿馬鹿しいです。自分の神は自分で考え見つけるべきです。

私は試験が嫌いだし、誰をも師事しません。人には正解でも私にとっては不正解の場合が大半。だからこそ人生は悩む。難しいのだと思います。師事して簡単に人生が歩めるのであるなら、哲学者なんて存在しないでしょうしね。

私が清水富美加さんが気になっていたのはルックスもそうですが、「清水」と言う姓からです。清水さんは不幸になりやすい姓。水の浄化で全てが流される命運があります。だから心配していました。

人生って清濁併せ持っていなければ生きていけません。人生と言う川は濁っている淵もありますので。綺麗な清流よりも濁っている淵にこそ餌がある。濁っている場所へ潜って餌を食べなければ生きて行けない。

それは宗教に頼ったとしても避けられません。神を語る人は神ではない。何の解決にもならない。ただ単に現実逃避させられるだけですから。

清水さんはその名の通り、清いだけに普通の人より濁りには弱い。だから思い悩み悲劇のシナリオを演じてしまうケースが多い。

だったら少しづつ濁りに慣れていくしかない。濁りに対して息を止める時間を少しづつでも長くするしかないと思います。

その為にはやはり休むべき。そして旅に出て心を浄化させ精神を鍛えるべき。そして再生し女優として戻って来て欲しいです。

出家したとしても広告塔にされるだけ。環境は変わっても現状はそれほど変わらないと思います。それに早く気が付いて欲しいですね。

 

ではでは。

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桃太郎のモデルも坂上田村麻呂ではないのか!? その4

2017年02月13日 00時30分02秒 | 伝説

続きです。

田村三代記と桃太郎の本来??の御伽噺を重ねると、山に芝刈りに出たお爺さんは大獄丸。お婆さんは立烏帽子。そして桃太郎が田村麻呂となりますね。

何故、お婆さんは裏切ったのか。それは岩手県の舞根神社。亦の名を瀬織津姫神社で説明出来ると思います。瀬織津姫神社は約1300年近く前、蝦夷討伐の為に熊野から熊野本宮神の分霊を船で運びその地に勧誘。室根神社に祀った。その時、最初に上陸した仮宮として建立した瀬織津姫神社です。

つまり熊野本宮神は瀬織津姫と言う事になりますが、元々熊野の神は日本の地主神です。それを朝廷側の守り神として迎えた。瀬織津姫と呼んで自分達の神にしてしまった。蝦夷の神を田村麻呂の味方に付けた。

田村麻呂の蝦夷討伐は蝦夷対蝦夷の戦いでした。田村麻呂の朝廷軍の兵士は鹿島から集められた。鹿島もまた蝦夷の地です。そして投降した蝦夷も自分達の兵士とした。そして蝦夷どうして戦わせた。

神もまた蝦夷の神を自分達の神として向かえた。瀬織津姫として。

蝦夷の神は塩竃に祀られている志波彦神なのは間違いないと思います。モレが祀っていたのですから。その志波彦神に対抗するために志波姫神でもある瀬織津姫を立てたた。その話が田村三代記の立烏帽子なのだと思います。

悪玉姫伝説では坂上田村麻呂は蝦夷生まれとなってます。田村麻呂は悪玉姫の子とした。それは田村麻呂を神格化する為の聖婚です。リアル??桃太郎の御伽噺とピッタリ重なると思います。

以上、書いてまいりましたが、気が付きましたでしょうか。もう一人の神が桃太郎の御伽噺に重なる事が。

そのもう一人の神とは応神天皇です。応神天皇の親は仲哀天皇と神功皇后。しかし仲哀天皇は住吉大神、もしくは瀬織津姫と思われる神に祟り殺された。

リアル桃太郎のお爺さんは犬、猿、雉の呪術によって桃太郎とお婆さんに殺された。桃太郎は実の父親を殺した。それは神のお告げを語っていた神功皇后と重なります。つまりお婆さんが神功皇后。桃太郎が応神天皇となります。

神功皇后は5歳で妊娠。7歳で応神天皇を出産しています。そしてお婆さんも若返って桃太郎を産んだ。どちらも聖婚の考え方。神である事を証明しています。

神は生まれる前から神であり、人として生まれても神。死んで復活しても神です。つまり最初から神だから人間の父はいません。それが聖婚の考え方です。

歴代天皇で神武天皇、祟神天皇、応神天皇、そして神功皇后の四人だけがその名に「神」の字が付いていますが、神格化されたから神としているのだと考えます。

田村麻呂は蝦夷討伐。神功皇后は熊襲と三韓を応神天皇を宿して討伐している。どちらも大和朝廷側です。だからこそ桃太郎の御伽噺が重なったと考えられます。少なくてもエッセンスとして。

勿論、吉備津彦命を神格化する為に桃太郎の御伽噺が誕生したとする考えが本命です。桃太郎の御伽噺が多岐に渡って語られているのは、それぞれの神々を鑑み改良された。今の所、そう考えている次第であります。

 

ではでは。

 

 

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