宮城県の花淵浜に鎮座する鼻節神社、そして岩沼市に鎮座する東北最大の稲荷神社である竹駒神社。その共通点が三角形の石で出来た扁額です。扁額は鳥居に付いている神社の名札みたいなヤツです。何故か宮城県の海岸沿いの神社には、この三角形の石の扁額を掲げる神社が多いのです。何故なのでしょ。
2011.3.11の東日本大震災で宮城県の海岸線にも大津波が到来。しかし三角の扁額を掲げる神社だけは無事だった。花淵浜の町並みは全て流されたが鼻節神社は大丈夫だった。岩沼市にも津波が到来したが竹駒神社の直前で止まった。
これで私は三角の扁額は津波を意味している。波の形は三角だし、アイヌ語では波と兎を「イセポ」と発音する。つまり白波は海を飛び跳ねている兎に見える。兎もまた飛び跳ねている姿は三角。つまり津波と言う事か。
だから「津波が来たら三角の扁額の神社へ逃げろ」と言う意味だと考えました。実際、三角の扁額の神社は移築した神社を除いて全て無事だったので。
ところがです。地元ブログ友の「ひーさんの散歩道」で知ったのですが、宮城県の大崎市田尻の山の中に鎮座する愛宕神社も石で出来た三角の扁額だった。栗原市の三峯神社も同様に三角の扁額。これで私の説は崩れ落ちました。大崎市や栗原市に津波なんか来る訳は無いので。
しょうがない。全て御破算にして最初から考え見ます。
先ず一つ考えられる事ですが、この三角の扁額を作った人は全部同じ人だった。ある時代の一人だけが作った。これは間違いないと思います。そしてそれがカッコイイと人気になって、多くの神社で採用されたのではあるまいか。
だったら何故、海岸沿いに三角扁額が多いのか。それは最初に三角扁額を掲げた神社が海岸線にあり、横の繋がりで増えたから。または三角扁額を作った人が宮城県の海岸線に住んでいたから。
否、伊達政宗の時代にも地震で大津波が到来した。そして海岸線の神社が大打撃を受けた。その時、一斉に三角の扁額に換えられた。
大崎市や栗原市も日本有数の地震頻発地域です。3.11の時もそうですが、津波は来ないが大地震で鳥居が倒壊した。だから同じ時期に三角の扁額に換えたのではないか。
単純に考えるとそれしか考えられません。あと何があるのでしょう。
では何故、三角の扁額をデザインしたのか。
これも単純に考えて神社は本来は「山」だからでは。
山は神々が住む聖域。山はとぐろを巻いた蛇の姿。日本の地主神は蛇神。それを身近にしたのが神社。だから山の形の扁額をデザインした。それが三角の扁額の誕生の秘密ではないでしょうか。
もうね、これしか考えられませんよ。もう随分考えました。これ、案外当たっていると思うのですが、どうでしょう。
私のキャパではこれが限界です。知っている人がいたら教えてください。何時までも待っています。
ではでは。