諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

桃太郎のモデルも坂上田村麻呂ではないのか!? その2

2017年02月09日 20時38分27秒 | 伝説

続きます。

桃生郡霊峰旭山に鎮座する桃太郎神社には私、行った事ありません。ネット検索したら地元のブログ友のひーさんの「ひーさんの散歩道」で書かれています。どうも地図にも載っていないとか。しかも写真で見ると社が模型の様に小さい。これは誰か有志の人が「おらほの桃生郡こそが桃太郎伝説の地だぞ」と建立したのだと思います。

何故、この地に桃太郎伝説が根付いたのか。私、心当たりがあります。一つの書物を真に受けたんだと思います。

その書物の名は「田村三代記」。田村三兄弟ではなくて坂上田村麻呂の三世代の物語を記した書物です。御伽噺と言って良いと思います。

この「田村三代記」ですが、私も全部は読んでいません。それに長くなりそうです。詳しい説明は亦の機会に記しますが、簡単に言うと日高見国の王・大獄丸の情婦だった立烏帽子が田村麻呂の事が好きになり、田村麻呂側に付いて情夫だった大獄丸をやっつける話です。

どうも田村麻呂が死んで360年後の平安時代末期1170年頃に誕生し。鎌倉時代から剤の南北朝時代のに掛けて肉付けされ、1336年頃に現在のストーリーとなった模様です。

ストーリーでは日高見国は大獄丸と言う鬼が支配していたのですが、幹部クラスの鬼も存在します。その鬼の一人に高丸がいるのですが、田村麻呂と立烏帽子に割りと簡単にやっつけられるのであります。大獄丸の前にです。

その高丸ですがその正体を「温羅」と田村三代記には書かれているのです。

温羅って岡山県の古代吉備地方の統治者です。桃太郎のモデルである吉備津彦命に討たれたとされています。何で吉備の統治者である温羅が陸奥で田村麻呂と立烏帽子に討たれるのか。流石に私、信じられませんね。

では高丸と言う鬼は一体誰なのか。アテルイが大獄丸であるなら高丸はモレだと思います。

モレの本名は盛多賀嶋。私はモレ、もしくはモレの一族が最初の塩竃神社の有る一森山に最初の志波彦神社を建立したと考えていますが、塩竃に隣接する多賀城は元々は盛多賀嶋の城だった可能性も十分あると考えます。

盛多賀嶋と高丸。「多賀と高」。発音が似ている。モレが温羅の訳が無い。モレは精々静岡県まで攻めたと考えますが、岡山県までは行ってない。勿論、温羅が東北まで来る筈が無い。田村三代記の話は御伽噺故のフィクションだと思います。

しかし、800年以上の歴史がある田村三代記であります。誰かがそれを読んで高丸が温羅と信じ込み、この地の桃太郎の伝説が誕生した。そして桃生郡に桃太郎神社を建立されたのだと思います。

 

続く。

 

 

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする