諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

河童は何故キュウリが好きなのだろうか。その5

2017年02月04日 14時03分17秒 | 伝説

続けます。

本では大したこと書いてないので、「河童駒引」で考えて見ます。

ストーリーは「或る夏の日、和尚さんが愛馬のアオに隣の村へ法事に出かけた。幾つか山を越えてアオに疲れが見えたので、村の入り口にある川にアオを繋ぎ和尚さんは徒歩で法事の家へと向った。昼過ぎに戻ってみるとアオがいない。和尚はアオを探す。微かにアオの鳴き声が川の上流から聞こえた。和尚は急いで上流へ。そしてどん淵の底の穴にアオが入りかけていた。和尚は急いで駆け寄りアオを引っ張る。何とかアオを引っ張りあげるとアオの尻尾に河童の両手が付いていた。和尚は河童の両手を寺に持ち帰り、縁側の柱に吊るしていたら多くの河童が集まって来て、手を返してくれて頼んだ。和尚はもう悪さをしないと証文にサインしろと言って河童がサイン。手を返したら手の無い河童にくっけて帰っていった」と言う話です。

何で河童は馬を淵に引き込もうとしたのか。神社には絵馬がありますが、元々馬は神社へのお供え物と言うか、生贄だったみたいです。

昔の人は殆どが農民です。農民の願いは天候。雨乞いの場合は黒馬、晴れ乞いは白馬を生贄にしていた。それは馬が水辺に住む動物だったから見たいです。馬の体ですから水はかなり飲むのでしょう。

更に水神と言えば竜。竜の世界はメスがかなり少ない。だからあぶれたオスの竜は雌馬を妻とする。そして生まれるのが竜馬。つまり河童は水神の卑下した姿で妻としてメス馬を求めたと考えられます。

河童は猿候、袁公と呼ばれるのが気になります。猿は馬の守り神と言われてますので。どうも中国の思想が日本に伝わったらしいですが、寒川神社や日光東照宮では馬の手綱を引いている猿の像??が有るそうです。そこから河童も馬を自分の住処の川に引き込むとされたのではないでしょうか。

総括しますと河童は出雲神族を示しているのは間違いないと思います。そして出雲の始祖神はスサノオ命。だからスサノオ命とキュウリが関連付けられた。敗れ去った出雲神族は穢れた存在であるとされて。

しかしながら河童はスサノオ命がモデルではない。河童は生臭いとされる。つまり狩猟民族だった縄文人を意味している。狩猟は動物も魚も血が流れる。血生臭い。穢れている。だから河童にされたと思います。

それと河童=猿で馬とも関連がある。猿と言えば猿田彦尊。馬はオシラサマ。ここから考えるとどうしても道祖神の信仰が思い浮かびます。

私は出雲は元々、塞ノ神である久那戸大神とアラハバキ神の土地で朝鮮から渡って来たスサノオ命に侵略されたと考えていますが、どうしても河童からこの両神を思い浮かべてしまいます。

出雲神族の富氏の家紋は日本酒「浦霞」の佐浦酒造の家紋と同じ二つの大根が重なるデザインですが、元々は矛が交差する家紋で、時の朝廷に大根に変えられたそうです。

祇園の八坂神社も木瓜紋も私は天皇家の血筋に勢力を削ぐ為に穢れたキュウリに変えられた可能性があると思います。

以上、河童とキュウリから色々と思案してみました。正直に言ってチョット早過ぎでした。もうチョット考えを練ってから書けば良かったと思っています。今の所はこれが精一杯です。

 

ではでは。

 

 

 

 

コメント (2)
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