諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

恵比寿様は何故に鯛を抱えているのか、再び考えてみた。その3

2018年02月14日 14時22分39秒 | 神道
続きです。

そんではホツマツタエに書かれている恵比寿様こと事代主と鯛の経緯を丸写しで書きます。

エミス顔「われ鈴明(すずか)にて 親(たらちね)に ホロホロ鳴けども 鉤(ち)の鯛ぞ 魚と斬るも 愚かなり 高天原(たかま)は民の エミス鯛 糸かけ巻くぞ 勅(みことのり) わが父去らば 諸とも 」。

この文章を読んでも何を言っているのか私には分かりません。そんな訳でその意味をまた丸写しで書きます。

最初の「エミス顔」は事代主の事です。

事代主曰く「私がトヨケ神の鈴明の文の教えを持って、慎み深く質素に三穂の関(美穂神社)で暮らしております。以前にも父のオオナムチに諫言致しましたが、鯛の様に奢っておられ、お聞き入れになりません。しかし、父は釣針にかかった鯛の様なものです。やがて釣られる様に服従するでありましょう。魚の様に斬ってしまうのも愚かな事です。エミスの私が糸かけ巻き鯛を釣るように、日高見(東北)の高天原は、いとかけ巻くも尊いものです。父が去れば、私諸ともに去りましょう 」と言う意味らしいです。

私的に訳すと「偉ぶって鯛の様に言う事効かない大国主ですが、既に天孫族に釣られた鯛の様なもの。最後は服従するしかない。だから処刑しないで。私が釣る鯛の様に東北の高天原は価値がある。大国主が去るのなら、事代主である私も一緒にその高天原に去って行きます」って事でしょうか。

事代主は馬鹿親父に苦労する息子みたいですね。私みたいだ。

出雲の国譲りは大国主は決断出来ず、息子の事代主に判断を委ねた。そして事代主は国譲りを了承。大国主を連れて東北へ去って行ったと言う事になるのでしょうか。うーん、どんなもんでしょ。

その話を鵜呑みにすると事代主である恵比寿様が抱えている鯛は、大黒天である大国主になっちゃいます。鯛を釣るが如く父親を説得して丸め込んで東北に去って行く姿が「鯛を抱えた恵比寿様の姿」なのでしょうか。それとも「鯛である東北は私の物」と言うことでしょうか。

うーん、だったら恵比寿様は憤怒の表情をしている筈です。事代主は手の甲で柏手を打って入水したのですから。呪いの柏手と共に入水したのですから。東北地方を貰ってえびす顔と言う訳でもないと思います。国譲りしたのですから。

出雲を手にした天孫族としては恨んで去って行った大国主・事代主は恐ろしい。祟りが怖い。だから満面の笑みの恵比寿様、大黒天様に描いたのではないでしょうか。

私はどうもそれが事代主、大国主を道化として描いている様で嫌な感じがします。これは日本の地主神に対する仏教の悪意も何となくですが感じてしまいます。

残念ながら誰かが損をして誰かが得をする。全員が得をする事などありえません。だから損した側を祀る訳です。恨まれない様に、祟られない様に。

それで祀って貰って恵比寿様、大黒天様は笑っているのでしょうか。

まっ、少しは鎮まっているいるのでしょうが、本当に大切に祀らないと大変な祟りが襲ってくるのは間違いなさそうです。

以上、消化不良では有りますが、ホツマツタエから鯛を抱えた恵比寿様を考えてみました。正直、私は理解は出来ません。余りにも事代主と大国主を馬鹿にした思想なので。

祟りを実感する人生を歩む私はどうしてもそう思ってしまいます。

リビングに飾られた恵比寿様と大黒天様の木製のお顔の面を見ながら・・・・・。


ではでは。







コメント (8)
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