私には負の奇跡がしょっちゅう起こる。だから祟られている。呪われていると思ってしまう。
今も悩んでいる。裁判に加えてまた親がやらかしていた。精神状態がズタズタだ。昔からそうだが、親が禍を招く。
過度のストレスでまた太った。一時は88キロ近くなっていた。数ヶ月前もやはりストレスで79キロまで下がった。まるでコロナ禍での株価の様だ。
あっ、最初から支離滅裂な文章になってしまっている。裁判だけでも辛いのに、本当に私の親はやらかしてくれる。どっちも痴呆症+認知症。それなのに何でも自分が正しいと思っている。だから禍がやって来る。その後始末は何時も私。もう、私は限界に来ている様だ。
やっと詳細が分かってきたが、三浦春馬も私と同じ悩みで自殺したのかも知れない。親への復讐、或いは親を諌める為に自殺した。もしかしたら、それも一つの目的だったのでは。
あっ、また支離滅裂になってしまっている。タイトルから逸脱してしまった。戻します。
さて、前回、「ヤマハ・タウンメイトT90が復活した・・・・」と題してブログを書きました。今回はその後日談です。不思議な事が起きましたので。
メイトに乗って久々に瀬織津姫を祀る仙台の瀧澤神社に参拝。参拝しなければ心が軋んむ。私の咎を背負って欲しい。その願いを込めて参拝した。
ここは錦町公園の隣。この公園は昔、墓地だった(詳しくは「警察官と錦町公園の幽霊」を読んでくんち)。殆どの方は忘れてしまっているけど、仙台の霊場。
だから境界線の神・瀬織津姫が川内の亀岡八幡宮の地から、この地に移されたと私は考えています。もっとも亀岡八幡宮には、今も瀬織津姫の本来の姿に近い女神を祀っていますが。
参拝後、暫く佇む。神社の奥に小さな社があり、横で白黒の猫が寝そべっている。小さな社にも参拝。猫は移動し私を見つめている。
社はお稲荷さんを祀っていた。当然、そうだろう。瀬織都姫を祀る神社には、お稲荷さんも大抵鎮座している。仏教で考えれば「ダキニ天=弁才天」。それを証明していると言える。
参拝を終えて途中、用を足しながら帰路に着く。一時はダメかと思ったメイトは順調に走ってくれている。良かった。
そう思った瞬間、また問題が起きた。またライトが消えている。ウインカーもホーンも鳴らない。またバッテリーが駄目になったのか。そんな馬鹿な。またなのか。
私は大通りを避けて走る。ウインカーが付かない、ホーンが鳴らないのは大変危険。何とか無事に家に辿り着きたい。
そう思っていたら、ピピピピピピピィーとホイッスル音が。警察官だ。ブレーキランプが付かないのを見破られたのか。あっー悪い事は出来ないな。悪い事をすると必ず天の咎めが来る。はうぅぅーーーん。
警察官は私に「ここは一時停止だよ。表札が見えないの?」と聞いて来た。
えっ、そんな馬鹿な。確かめると電柱の上の方に標識が有った。家から近いのに全然知らなかった。それよりも標識が上過ぎて誰も気が付かないよ、これ。
事実、数日後もここで取締りをしていた。この場所は一時停止とは知らずに違反し易い穴場なのだろう。警察も違反を取り締まるのにはノルマがある。それが成績になるのだ。ちょっと騙された気分。
でも、バッテリーか無くなっている。整備不良でも切符が切られる。ダブルか。ついていないな。
一時停止の罰金は6000円。バイクを走らせる時、無灯火なのが分かってしまうな。どうしよう。報告するのも何だから、黙って出発しよう。
そう思ってキックでエンジンを始動した。あれっ、ライトが点灯している。どうなっているのだ。ウインカーも光るじゃないか。本当にどうなっているのだ。こんな事ってあるのか。
それから2週間以上経っているが、バッテリーは正常。あの時だけバッテリーが切れた。これは何度も経験している私特有の負の奇跡だ。こう言う事がしょっちゅう有るのだ、私の人生には。
瀬織津姫を祀る瀧澤神社の参拝の帰りなのだから、瀬織津姫の祟りではないのか。
どうなのだろう。瀬織津姫の祟りであるならば、この程度では済むまい。これは警告だ。もっと慎重に運転しろとの警告。ここで捕まらなければ、慢心して事故に遭うかも知れん。これは警告として有り難く受けよう。
バッテリーが切れて焦った。焦った私には禍がやって来る。焦ってはダメだ。それを瀬織津姫は教えてくれたのだ。そう思おう。
良い教訓になった。バイクは命の危険と隣り合わせ。焦らず騒がず何時でも慎重にだ。
そう心掛けて気を付けて運転する事にしよう。其れでなくても私は運気が弱いのだから。人殺しの家系なのだから。
ではでは。