問題発言ですよね、今回のお題は。
三浦春馬の自殺やALSを患った女性の嘱託殺人、そしてコロナ禍等々、最近、死に付いて考える事が多いです。
東日本大震災の時も色々と考えましたが、持病がありコロナで死ぬ可能性が平均よりも高い私は、どうしても死から頭が離れない。
色々悩みが多いのですが、死ならば全てが解決する。死こそが最良の浄化。
そんな事考えているから、こんな状態なのでしょうね。
そこで、ふっと思ったのです。本当に自殺って悪い事なのかを。
自殺を悪としているのはキリスト教です。キリスト教に置いて人間は「主の下僕」。「下僕のくせに勝手に死ぬんじゃねぇー」。だから自殺は禁じられている。自殺した者は地獄へ落ちる事になってます。
私はキリスト教に不審を感じているのは、結果的にキリスト教で多くの命が失われたから。戦争兵器としての役割がキリスト教にあるからです。
更にユダヤ教ですが、ヤハウェーは神のくせに人間を試すのが好き。試さないと人間が分からない神である。
イエスは回りくどい喋りで解釈が難しい。例え話だらけ。だから誤訳してしまう。宗派で争う事になる。分かり易く簡単明瞭に喋れと言いたくなります。
まっ、ヘブライ語を英語に、そして日本語に訳すのですから、分かりづらい解釈になるのは仕方が無いですが、人間に誤解される神では問題があります。
話を戻します。仏教では自殺をどう考えているのか。
うーん、そう言えば聞いたことが無い。分からない。どうなのだろ。
釈迦は「人間の肉体は穢れている」とか言ったそうです。
それで弟子たちは「そんでは自殺しましょうよ」となったらしいですが、自殺を推奨こそはしていないと思いますが、禁じてもいないのではないでしょうか。
多分、宗派によって色々考えがあるとは思いますが・・・・。
神道ではどうか。
神道の神々は人間に「あーしろ、こーしろ」とは言いません。
神道は受代苦。神々は無言実行で罪を犯し罰を受けますが、それは人間に代わって罪を犯し、その罰を人間に代わって受けている。その点を考えると自殺は良くない事と認識出来ます。
例えば恵比寿様である事代主。事代主は国譲りに従ったが、呪いの拍手を打って入水自殺をした。
これを受代苦で考えれば、人の代わりに呪って、人の代わりに自殺したとなります。
人の罪を代わりに背負った。つまり人は呪ってはいけない。自殺してはいけない。それが神道の考え方の様に思えます。
そこで、またまたフッと思いました。仏教での葬式の役割を。
葬式は死者に自分が死んだ事を分からせる為に執り行われます。49日の法要も三回忌、七回忌もそう。「貴方は死んだのだ」と何度となく教える。それが葬式であり法要であります。そう聞いています。
「馬鹿は死ななきゃ治らない」なんて言われますが、聞いた話によると人は死んでも治らないと言うか、性格はそのままらしいです。
そして自分が死んでいる事も分からない。分かろうとしない。だから何度も死んだと教え込む。
人は未練を残すと成仏出来ない。未練を残すと死が納得出来ない。現世に魂が留まり、彷徨ってしまう。
それなら自殺はどうなのか。
死にたいから死ぬ。死を望んでいる訳だから、自分の死に納得している筈。これはどう解釈すれば良いのか。
色々、仏教の本を読んだのですが自殺の場合、人や世間を恨んで自殺したのであれば、この世に恨みつらみ、そして未練を残しているので成仏は出来ないとの話があります。
しかし、その反面、自分が死を望んだのだから、自分の死に納得している。だから成仏出来るとの考えもあります。
そうだろう。どちらも正しいと私は思います。
自分の自死が意味のあるもの。それが使命であり責任であるなら自殺しても成仏出来る。そう言う自殺であるのなら、理想的な死に方ではないのか。
何か私、どうしてもそんな風に考えちゃいます。
現に死を覚悟して戦う人がいる。逃げれば生きられるのに逃げない。これって自殺とそう変わらないと思う。
それが自殺で悪だと言うならば、信念を持って世の為、人の為に戦って亡くなった人は浮かばれない。それはあんまりです。
そう言う事で、私は全ての自殺は悪だとは思いませんし、自殺しても成仏出来る人はいると思います。
今の私はそう考えております。
ではでは。