「人の行く 裏に道あり 花の山」。
これっ、株式投資で教訓とされる句ですが、鬼渡神も神道の裏道と言えます。
それで今回、鬼渡神は別名・ニワトリの神とされる事から、ニワトリで神道を考えてみたいと思います。っと言っても殆どこじ付け話ですけど。
さて、ニワトリと言うと、私はどうしても恵比寿様と三島溝咋姫の伝承を思い出します。
恵比寿様は三島溝咋姫の住まう島に、毎日、ボートで夜這いに行っていた。そして朝を告げるニワトリの鳴き声を聞いてボートで帰った。
ここで考えられる事は、恵比寿様は夜しか活動出来ないと言う事。これは黄泉の国の住人である事を示していると考えます。
そして何時もの様にニワトリが鳴いた。
恵比寿様は「えっ、もうこんな時間?」と飛び起き、急いでボートに乗った。
焦っていたのでオールを海に流してしまった。仕方が無いので足で水をかいた。そしたら鮫と思われる鰐が遣って来て、恵比寿様の足に噛み付いた。それで恵比寿様は足が不自由になったと言う話です。
以来、恵比寿様はニワトリが嫌いになった。だから「えびす宮総本社・西宮神社」では、明治時代まで境内でニワトリを多く飼っていたそうです。恵比寿様を調伏する為に。
恵比寿様は七福神の中で唯一、日本出身の神です。
国譲りを呪って入水自殺したのに福神として迎えられている。
その理由は、恵比寿様の犠牲により侵略者が富を得た。呪って死んだ恵比寿様に後ろめたさを感じた。恵比寿様の祟りを恐れた。だから福神として祀り、祟りを起こさない様に鎮めていると私は考えています。
その恵比寿様を調伏するニワトリとは一体何なのか。
こんな事に疑問を持つ暇人は、私くらいなもんでしょうね。
まっ、因縁の鬼渡神で神道を登っている私ですから、一つの答えは出ていますけど。
その答えは「邇波都登理」。ニハツトリと読みます。
古代の日本語で直訳しますと、「ニハ=喜び」、「ツ=集まる」、「トリ=教える」。つまり「喜びを表す」、「幸福をもたらす」と言う意味だそうです。
このニハツトリですが、大国主に対する邇波都登理が記紀に書かれております。その邇波都登理とは誰なのか。それは大国主が一番愛した姫、つまり沼河比売となります。
その邇波都登理が何で庭鳥となったのか。
昔から日本人は庭を自慢する風潮が有った。
「庭=幸せの象徴」。自慢したい。それで邇波都登理の意味が「庭を見せてくれ、庭を見てくれ」と変化し、ニハツトリの発音から庭鳥(ニワトリ)となった模様です。
そう考えると恵比寿様を庭鳥が調伏していると言う話は、違う意味合いになるのかも知れない。
恵比寿様は蛭子神の場合、両親から捨てられ海に流された。事代主であっても国譲りで、呪いの拍手を打って海の底へと落ちていった。
恵比寿様は呪いの象徴。受代苦で考えれば、人々の幸せは恵比寿様の苦難の上に成り立っている。だから幸せの象徴である庭鳥が嫌いなのか。
否、違う。庭鳥で恵比寿様を調伏して、福神として生まれ変わらせているのかも知れない。
恵比寿様の邇波都登理は三島溝咋姫。
否、三島溝咋姫に会いに行って、恵比寿様は足を負傷した。しかも当時は恋愛結婚ではなく政略結婚。そこのところはどう考えたら良いのだろう。考え過ぎか。
答えは出なかったが、ニワトリは幸せの象徴。恵比寿様のニワトリは三島溝咋姫。そのニワトリで不幸な恵比寿様を、呪いの神から福神に生まれ変わってもらった。変身させた。
私は今のところ、そう考えたいと思います。
ではでは。