続きます。
私、忘れていました。素戔嗚尊が殺した神はまだいました。食物の神である大宣津比売神です。
大宣津比売神は素戔嗚尊の為に御馳走を作っていた。その様子を素戔嗚尊が覗いたら、大宣津比売神は口から吐いたり、下から出したりして食材を揃えていた。
それで素戔嗚尊は怒る。「そんな汚いものを俺に食わせる気か」と言って大宣津比売神の首を剣で刎ねています。
私は大宣津比売神は同じ食物の神である豊受姫神と同神と考えていますが、大宣津比売神も山姥のモデルになるのか。
これは難しいですね。
素戔嗚尊が大宣津比売神を殺したストーリーと全く同じ話があります、月読尊が食物神・保食神を殺した話です。
そうなると素戔嗚尊は月読尊と同神になるのか。
この話はまたの機会にします。かなり長くなりそうなので。本来の三貴子を語る必要もあるので。
まっ、大宣津比売神は瀬織津姫なのか、山姥なのかと言われれば、可能性はあると言えます。「牛方と山姥」の話の中には、釜で炊かれた山姥の遺体は薬として重宝されたとの話もありますので。
そろそろ総括とします。
私が今回、このお題でお話したのは、スピリチュアル界隈では瀬織津姫は素戔嗚尊の娘とする話がネットで流れているからです。
スピリチュアル界では「瀬織津姫はマグダラのマリアだ」と言うとんでも話が信じられたりしていますが、以前、私がブログで説明した通り、そんな訳ありません。
キリスト教と神道の知識がないからそんな与太話が出てくる。そう言うとんでも話が好きな人は多い。
その人からお金を巻き上げるヒーラー家業の方にとっては飯のタネになる。被害者が出る。それで少しは勉強して欲しいと思い、ブログを書いたのです。
話を素戔嗚尊と瀬織津姫に戻します。
本居宣長だったか名前は忘れましたが、瀬織津姫は五十猛命であると語った神道家がいました。
素戔嗚尊とその息子である五十猛命が朝鮮半島にわたって植林した。「だめだこりゃ」とか言って日本に戻って来たとか言われています。
この五十猛命は、伊弉諾尊・伊弉冉尊との子である大屋昆古神と同神とする説があります。そして大家昆古神は禍津日神と同神であるとの話もある。
「禍津日神=瀬織津姫」であるとする話が伝わっていますので、素戔嗚尊の娘が瀬織津姫との話も繋がる訳です。
でも、「禍津日神=天照大神荒魂」ともされています。そうなると素戔嗚尊と天照大神との関係は姉と弟ではなく、父と娘になってしまいます。それはいくら何でもおかしいです。
私、思うのですが、神道の神々の中で一番の祟りを起こしたのは天照大神だと考えます。何せ太陽が昇らず、世の中、真っ暗闇になったのですから。
その点を考えると天照大神は神道最強の祟り神であり怨霊だと言える。そこに「牛方と山姥」の話の本質が隠されていると思えるのです。
日本の風俗には「怨霊には武神、仏教、乱暴者」の教えが伝わっています。乱暴者は素戔嗚尊を指しています。
武神を祀る神社や寺院、そして素戔嗚尊を祀る神社の地主神は怨霊とされる神が調伏されていると言い切れます。
素戔嗚尊と瀬織津姫が一緒に祀られている神社も多いですが、それは瀬織津姫を怨霊として捉え、調伏させる為に素戔嗚尊を一緒に祀っているからだと私は考えています。
例を挙げると私の故郷、福島県いわき市の好間川に伝わる蛇岸淵の織姫伝説です。川の淵の織姫ですから、瀬織津姫の暗示が見えます。
好間川はかつて良く氾濫していました。それは瀬織津姫の怨霊の部分が引き起こしている。その考えの元に近隣に素戔嗚尊を祀る八坂神社が建立された。
勿論、それだけでの理由で八坂神社が建立された訳じゃないと思います。
私の母方の祖父はその地域で梨園を開きましたが、その行為は自然破壊です。蛇である神の住処を奪った天津罪です。
素戔嗚尊は高天原で天津罪を犯した。それは人の為に犯した罪です。
神道の神々は受代苦を受ける。人間の罪を人間に代わって実践し、その罪の罰を人間に代わって受ける。その為にその地に八坂神社を建立した部分もあります。
えっ~、長々と語ってまいりました。話はシドロモドロになって訳ワカメになっているかと思いますが、「牛方と山姥」の話が素戔嗚尊と瀬織津姫の戦いを示している話だと、ニュアンス的にでも分かって頂けたでしようか。
もう、いっぱいいっぱいになっちゃいました。
少しでも私の考えが分かって頂ければ、本当に幸いです。
自分でも話がこんがらがっちゃいましたが。
ではでは。
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