諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

心配するな。死は辛くない。痛くない。

2024年12月26日 21時40分34秒 | 人生
人生100年時代。もう心配でたまりません。間違って100まで生きたらどうしよう。寝たきりになったらどうしよう。

頭がボケずに寝たきりにならない年齢。私は80歳まで生きれれば十分。何なら70歳で亡くなってもOK。60歳の今無くなっても納得します。生が幸せだとは思えなかったので。

今、BS放送を観ていると健康食品のCMで溢れています。水とか青汁とか、イワシだけの煎餅とか、黒酢とかetc、etc。

決まって元気な後期高齢者が表れて、「100歳まで生きる、頑張る」とCMで言わせてます。「100歳まで生きるのが人生の清く正しいゴール」の様にCMしています。ここまで来ると洗脳ですよ、これ。

「下手としたら、100歳まで生きてしまう」。

そうなったら金も必要。だから新NISAやら生命保険やら入らないと心配で生きていけない。長生きする心配で鬱になる。そんな人生って幸せなんでしょうか。

人生ってね、ほんの80年位前は50歳程度だったのです。その位で死んだ方が苦しまないで済むし、痛みで苦しむ期間も少ない。

「飲むなら焼酎、死ぬなら卒中」。苦しまずに卒中でスパッと死ぬ。

東北には苦しまずにスパッと死ぬ事を望む人達が信仰する「ぽっくり寺」が多く存在しますが、余り長生きせず、介護で人に迷惑をかけず、スパッとあっさり死ぬのが、一番良い死に方だと思いますね。

そこで誰もが心配するのが死の恐怖です。死んだらどこに行くのか。

仏教では涅槃に行く事になっています。この涅槃ですが、その意味は「欲の無い世界」です。無我の境地です。

人間、欲があるから生きて行けるのですが、死んでから欲を持っても仕方がない。死の世界を心配しても仕方ないと思います。

それともう一つ。死での心配事。それは死の瞬間、痛くないのかだと思います。

この件に関してですが、私、心配していません。

私、脚立から落ちた瞬間、気を失って床にぶつかった衝撃を覚えていませんでしたから。

結構な人々が飛び降り自殺していますが大丈夫です。ぶつかる瞬間や痛みは覚えていないです。痛みを感じず死ぬ事が出来ます。

それと私の父が2年前に亡くなり、亡くなる瞬間を私だけが診ていましたが、痛みを感じず苦しまず亡くなりました。無になった感じで亡くなりました。

その瞬間を見て私、死とは無に成ることだと確信しました。

仏教の教えで涅槃に行って修行するのって嘘だと確信しました。

無になるんです。欲も無くなる。夢も見なくなる。死んでまで修行して苦しむのなんて嘘。

夢は欲ですが、欲が無いのって幸せじゃないですか。

っと思ったりもしたものの、欲が無くなり半分死んでいる私って、生きるのが辛いです。これって、まだ欲が残っていることですかねぇー。

まっ、取りあえず、死ぬ瞬間は痛くないのは間違いないと確信しています。死ぬ事を心配しても仕方ないです。誰だって死ぬのですから。

私位になると死の世界がチョッピリ楽しみだったりするのですが、そんな感じで生きていた方が楽なのは確かだと思います。

無になるのだったら、修行も天国も地獄もない。

欲が無くなるって事は、気に病む事が無くなるって事だと思いますしね。


ではでは。






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2 コメント

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Unknown (まこ )
2024-12-27 23:55:42
看取られるのが良いか、看取るのが良いか。 

おおかた、死に関しては綱永井さんと同じ考えなんですが 
心残りは猫。そして生きるのを保てているのも猫。 
本当は猫のふわふわのお腹に顔を埋めつつあの世へ行きたい。 
猫に看取られたい。 

しかし、猫を元気で長生きさせて最後を看取るのが愛情。飼い主の責任。 
そのために生きているようなもんです、私も(笑)
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猫又。 (綱永井寵生)
2024-12-28 19:35:37
>まこ  さんへ
>看取られるのが良いか、看取るのが良いか。 ... への返信

最近、尻尾が真っすぐな猫が多く見かけるようになりましたが、尻尾が真っすぐな猫は20年生きると妖怪・猫又になると信じられ、嫌われていたみたいですね。だから鍵尾の猫が縁起が良いとされていたとか。

私も犬猫を飼いたいとは思いますが、自分が先に亡くなったことを考えると飼えません。義妹の突然の死から、20年後のことなど分からないと思うようになりました。自分の死は犬猫の死でもありますので。

柴神は旅立ちの神と言われていますが、古代、人が亡くなると柴犬と一緒に埋葬していたそうです。犬猫と一緒に埋葬されるのはアリだと思っています。墓相では凶だそうですが。
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