以前、かかりつけの床屋のマスターとの会話です。
マスターは母親を心不全で亡くしたばかりです。82歳だったそうです。前日までピンピンしていたのに、朝起きてこないと思ったら亡くなっていたそうです。
マスターは若い頃に父親を亡くしていたので、母親の死には人一倍ショックを受けていましたが、苦しまずに亡くなったのは良かったと語っていました。
私は言いました。「私の父は終末医療の施設で何も食べれず、コロナで親族にも会えず、40キロまでやせ衰えて亡くなった。あそこまで苦しんで生きるべきではなかった。死を選んだ方が幸せだった」と。
マスターは創価学会員だと思われます。聖教新聞を購読していますので。
マスターは言いました。「それでも死んではいけない。苦しくても生き続けなければならない」と。
マスターは二人の兄弟も幼少時に亡くしています。死に対しては私よりも深く考えて生きてきた。その結論が「何が何でも生き続けろ」だったのでしょう。
私は反論できませんでした。母親を亡くしたばかりの彼に、自死を肯定する私の考えは言えませんでした。
「人間は必ず死ぬ。それまで生きる」。それが人生だと思います。でも、不健康な状態でも生きるのは酷。
酷な人生も人生なのだろうけど、苦しみ生きて死ぬ。それに達成感があるのか。死が待ち遠しいのではないか。そんな人生に意味はあるのか。
父は誤嚥性肺炎、更には膵臓癌の疑いで3カ月以上寝たきりとなり亡くなった。母は認知症で自分自身をも忘れた状態にある。心と頭脳は死に近い状態にある。
父は死を待って亡くなった。母も死を待っている状態である。医療で生を得られている状態。
父の場合も母の場合もそうだが、自ら自死を選択できる状態ではない。それは大変な不幸ではないのか。
「飲むなら焼酎、死ぬなら卒中」と言われているが、死を考えずに亡くなる。それも不幸な気がする。
昔は癌で余命が幾ばくもなくても余命宣言はされなかった。
私の父は大変気持ちが小さい人物だったので、余命宣言はしていません。最後まで完治を信じていた。それが正解だったのか。
今年、義妹が膵臓癌で苦しんで亡くなったが、余命宣言はされたらしい。しかし、家族がいるから自死は選べない。生きようとした。それは尊いと思うが、過酷ではないか。
辛くても死ぬ訳にはいかない。或いは死を決行できない状態。死に方を忘れた状態と言うのは過酷ではないのか。
キリスト教は命は神から与えられたものだから自殺は禁止されている。
仏教での死は生きての修業が困難になったので、修行場所を涅槃に変えるとして自殺は肯定されているみたいだ。
その二つの考えのどちらでも無い私は、仏教に不信感を感じていても生きるのが辛ければ死んでも良いと考えている。
注射でさえ、大降りの鬱が降って来る私である。生きるのには向いていない。っとは言え、我慢できるまでは死を我慢すべきだとは思う。
そして我慢できなくなったら死ぬ。死ぬ時は死に方を覚えているうちに死にたいと思う。
「人は必ず死ぬ。それまで生きる」。それが人生の根本だと思うが、これは中々残酷な言葉だと思える。
ではでは。
日本は安楽死を認めていないので、安楽死が合法なスイスへ行く人もいるとか。しかしスイスへ行ける人なんて一握りですよね。
ガンの末期ではホスピスでモルヒネだけ点滴して、楽に亡くなることが出来ますが、ガン以外の病気では楽に死ぬことが許されていない。
死ぬ迄は生きろ。確かに残酷な一面がありますね。
>安楽死。 ... への返信
見ず知らずのスイスで亡くなるより、生まれ故郷の日本で死にたかったでしょう。スイスまで行かなければ死ねないなんて辛いでしょうし、よっぽど生が苦しかったと言えます。
今の日本人は自ら死を選べずに亡くなる人が大半です。父母の姿を見ていて本当に辛かった。そんな状態で生きるのは酷だと思えました。
生死感は宗教の根本と言えますが、どこが正解とは言えないです。
神道は死も祓い清めとなっていますが、伊弉冉尊は黄泉の国でウジだらけになっていた。天国とは思えない。どの宗教も正解は得られない。その人の考え次第だと思えます。
> 日本で。... への返信
依頼。
難病の筋萎縮性側索硬化症 ALS の患者から依頼を受けて医師が患者を安楽死させた事件がありました。
自殺幇助だとか、殺人だとか法的に見たら犯罪なんでしょう。
けれども、患者が医師に感謝しながら死んでいったとしたら。誰がその医師を裁けるというのか。 意識だけ鮮明で呼吸すら気管切開し機械で動いているだけ。本人が自分は生きた屍だと思っている。そして医師に安楽死を依頼した。死ぬ権利も認められないとしたら。
法律は、ときに無慈悲だと思います。
>依頼。 ... への返信
その話、以前ブログに書こうと思いましたが、難し過ぎて無理でした。
SNSで知り合った女性のALSの女性患者を、宮城県と京都府の意思が安楽死させた話ですね。
医師は二人とも善相。宮城の意思は精神科医でもあり、父親も安楽死させた事、患者に遭って直ぐに決行したことから、懲役18年の判決を受けています。
ギャラ目的で殺したとの裁判所側の言い分ですが、患者から受け取った金は130万円です。二人の人間が危険を冒して受け取る額としては低過ぎます。慈愛での行為としか思えません。
殺人事件の弁明としてこの事件が無罪となったら、司法は一変してしまう。だからこその懲役18年だと言えますが、この国は死に対して未熟だと思います。
> 知っています。... への返信
保険。
尊厳死は保険が下りる。安楽死は法的に認められないため保険も下りない…。
調べたら、安楽死合法化の国は結構ありますね。ベルギー、ルクセンブルク、スペイン、コロンビア、カナダ、そしてスイス。
日本もそろそろ、議論をしなければいけないのではないかと思います。
> 知っています。... への返信
実刑4年。
先の医師の懲役18年には疑義を感じます。三島由紀夫を介錯した古賀浩靖は実刑4年でしたから。罪名は嘱託殺人。 ただ、森田必勝が3回刀を振り下ろして介錯しきれなかったので代わりに古賀が一回で決めた。3回切っているうちにもう三島は亡くなり、古賀はただ介錯しただけかも知れませんが。
裁判所も結構恣意的な判決ですね。
>実刑4年。 ... への返信
宮城県の医師は自分の父親も安楽死させたので、二人を安楽死させたことになります。経緯をくみしてもその刑期になるのでしょう。凶悪犯ではないし、慈愛も感じられるのに今の日本ではその刑罰になるのでしょう。
因みに彼の妻は議員で、当時、大変な騒ぎになりました。直ぐに離婚したみたいです。
彼はお金に困っていた訳ではないので、引き受けない選択も出来たと思います。嘱託殺人のを依頼した女性の父親は、彼らを大変非難していましたが、私は彼らが気の毒でなりません。
> 父親も・・。... への返信
そうですね…。
何故、その医師を非難出来るのか。娘はALSの末期で絶望していた。地獄に感じていたからこそ安楽死を依頼した。130万には利益など乗せていないと思います。薬剤やら交通費やら必要最低限の金額だと思いますね。
医師だからこそ患者がどういう経緯で死を辿って行くのか。死ぬ迄にどれほどの苦しみを味あわなければならないか。解り過ぎるほどわかっていたからこそ。
苦しみから解放する手助けがしたかった。
父親は知りませんが、ALS患者のほうは勝手に安楽死させたわけじゃない。酌量の余地があって然るべき。
因みに私の知り合いの娘もまさにALSです。
家族は大変苦労しています。もう目しか動いていない。
いつタンを詰まらせ呼吸困難になるか解らない。予断を許さない。だから安楽死させろという意味ではありません。この病気は意識だけが鮮明で、動かなくなる自分を
本人がどう捉えているか。それでも生きたいと思うのか、
自分で苦しみに幕を降ろすのか。本人次第では、ありますが、。
>保険。 ... への返信
自殺は契約から3年たてば出るみたいですね。自殺はOKで安楽死はダメと言うのは矛盾しています。まぁ、死に逝く者はそこまで考えないのかも知れませんが。
高齢化社会ですから、同性婚よりも近々に考えるべきだと思います。
> 父親も・・。... への返信
予後。
ALSの発症をして余命は平均2年から5年だと言われています。稀にホーキング博士のように76歳迄生きる患者もいるようですが。勿論一番良いのは進行を食い止める治療の開発でしょうけど、今の時点では難病の中の難病ですね…。患者は、くるしいと、おもいます。