続きます。
手長足長と山姥なら共通点があります。大抵の手長足長は山の頂上に鎮座し、手長の長い手を海まで伸ばし、貝を取って食べていたとの話が残っていますから。
鹿狼山、太白山の手長も頂上に座り、海まで手を伸ばし買いを拾って食べていた。そして山の麓に食べた貝の殻を捨てていた。その貝塚も残っている。
何故、海から結構な距離がある鹿狼山、太白山の麓に貝塚があるのか。
私、東日本大震災を経験したものですから、津波を恐れていたと考えました。
その説は一つの理由にはなるかも知れません。宮城県の松島も大地震による地盤沈下と大津波で出来たのが分かっています。松島周辺は墳墓が多いですから、古代人で津波で亡くなった人も多いと思います。
それで「海の近くには住むな」と代々伝えていた。それは一因としては考えられると思います。
そして手長足長が手名稚命・足名稚命であるならば、アタ族だと言えます。手名稚命・足名稚命の親は大山祇神(大綿津見神でもある)。アタ族の祖神と言えるので。
さて、ここからが問題です。この物語は最初は山姥が有利だったが、最後は牛方が勝った。その勝因は何なのか。
それは「火の神」と「釜神」の存在です。牛方が山姥の餅や甘酒を飲み食いして、それを火の神のせいにした。山姥は火の神が飲み食いしたのであるなら、怒りを収めた。
山姥は諦めて寝ることにしたが、牛方が釜神の声を真似して「釜の中が良かろう」と言う言葉に従い釜の中で寝た。これは何を表しているのか。
先ずは火の神です。火の神とは誰なのか。
通常、火の神と言えば母である伊弉冉尊を出産時に大火傷させた「火之迦具土神」です。でも、この神は出産すると同時に伊弉諾尊に切り殺されている。私は違うと思います。
そうなると残っている火の神はただ一神。釜神です。
釜神の正式名は興津彦神・興津姫神。この「興津」は「熾火」或いは「置き火」から来ていると言われてますので。
「熾火(おきび)」は「一番調理に適した火の具合」を言います。そして「置き火」はその名の通り「置いている火、種火」です。
昔とは言え、いちいち火打石で火を起こしている訳ではない。置き火を消さずに常時火を保っていたのです。
釜神は神道史上、一番祟る神と言われていますが、そこに問題があります。
置き火が火事に繋がる。家を焼き人を焼く。だから釜神・竈神は大変恐れられていた。
しかも家の中にいる神です。人に一番身近な神です。故に畏怖と共に親しまれていた神でもある。最も信仰を集めた神と言えます。
続く。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます