続きます。
お次は一番の難関である「庭渡」です。これは万葉集の防人の歌で説明が付きます。
「庭中の阿須波の神に小柴刺し、吾は斎はむ、帰り来までに」。
この歌から代表的な鬼渡神である阿須波神は、庭に祀られている神である事が判ります。庭はある意味、最小の境界線と言える。阿須波神は人に一番身近な境界の神である。
更に大歳神と天知加流美豆姫との子である阿須波神の10人??の兄弟には「庭」と付く「庭津日神、庭高津日神」が存在する。そして阿須波神は「足場の神」。つまり屋敷神であり庭神。そして「旅立ちの神」でもあります。
その点から考えて「庭から出る、家を出て旅立つ」との意味合いから「庭渡」と名付けられたのではないかと考えます。
ここで連想ゲームのクライマックス。ニワトリです。鬼渡神社はニワトリの神。通称・ニワトリ神社とも呼ばれている。「庭渡、二渡、鬼渡」の語呂から「鶏、ニワトリ」に繋がったと考えられます。普通はそうなるでしょうね。
鬼渡神は水神として祀られている。庭神は井戸の神も含まれます。坐摩五神として阿須波神・波比岐神と共に御井神である生井神・福井神・綱長井神で坐摩五座神です。庭の神であるなら井戸の神である水神も含まれる。その点からも水神の要素があると考えます。
その水神とニワトリがどう関係するのか。ニワトリは「庭鳥」だからと言われればそれまでですが、鬼渡系の神社にはニワトリの絵馬を逆さに吊るし、それに水をかける神事があります。何故、ニワトリに水をかけるのか。鬼渡神がニワトリなら逆さに吊るして水をかけて喜ぶものなのでしょうか。それがキーポイントとなると思えます。
ここでニワトリに関わる神を登場させます。恵比寿様です。恵寿様はニワトリが嫌いです。
恵比寿様は妻??の三島溝咋姫の島に毎夜ボートで通い、ニワトリの鳴き声と共に帰っていた。或る日、ニワトリが何時もより早く鳴いた。焦った恵比寿様は急いでボートに飛び乗る。そしたらオールを流してしまった。恵比寿様は仕方なく足で水をかいた。そしたら鰐が出て来て恵比寿様の脚に噛み付いたと言う伝承があります。
更に恵比寿神社の総本社である西宮神社では、100年以上前にニワトリを境内に放し飼いにしていた。それは恵比寿様を封印する為です。恵比寿様はニワトリに弱いのです。
そしてもう一人ニワトリに弱い者がいる。それは鬼です。昔話の「桃太郎」では桃太郎が雉・猿・犬を連れて鬼退治に出かけてます。雉とニワトリは違うけど桃太郎が連れていた動物を干支で考えれは戌、申、酉となる。酉は鬼より強い。
陰陽五行で考えれば酉は五行最強の金で、鬼は五行最弱の水。つまり鬼は水神。だから鬼渡神は水神なのではないか。そして恵比寿様の系列ではないかと思えます。
「水神=ニワトリ」の訳はない。水神の生贄はニワトリ等の白い鳥と言われていますが、水神がニワトリが大好物と言う訳ではない。
水神はニワトリが嫌いだから、ニワトリの絵馬を逆さに吊るし水をかけることで水神を喜ばせているのではないか。それが一番辻褄が合う。だから「鬼渡神=ニワトリ」である訳がないと私は思っているのですが、どんなもんでしょうか。
以上、大まかに語ってみました。まだまだ言いたい事がありますけど、それはまた考えが練り上がってから語りたいと思います。
ではでは。
境界には堀があったり、溝があったり、垣根があったり、この前知った塩草を注連縄にというものを含めると水は関わるのはポリシー精神のように思います。五行最弱なのですか?鬼は。でも木は水に弱いのは生活でも理解ですし、橋や擬宝珠でもそこに金の金属がないと守れない。鬼がやられる原因は鳥が味方にいないとなのかもしれませんね。
そうそう思ったんですが、足で来る方はその境界で水に入らないといけない、境界の神でみそぎをして水と仲良くなり入って行く。ところが鳥は境界をスルーして水でみそぎせずとも入っていける。それって境界の神としても中にいる神からしても驚異だったでしょうね。なので恵比寿さんは怖いのは理解出来ますね。
ただにわとりは飛べない鳥なので境界を守る意味でも好きなのでは?とも。
私の中でも蛇の神へのたまごと神へのとりをあげる事はイオマンテで同族に対しての感謝だとも思ってきていています。
またどこかのお城の神のこのしろというお魚もお魚の神へのお魚への感謝だと思います。
神が生贄を好きな物を要求するなんて信じられないのもあり、人間との付き合いも平和的だったと思います。それがないとおこるというよりは、携わる方がこれを食べれる感謝として神に捧げるそんな発想だといいのになあと。
最近神事を外から拝見する際も、儀式では植物ですよね、お賽銭でもなく。植物への感謝であり、昔の方の最高のもてなしというかそのくらいしか出来なかったとも。でも神はそれでいまでも喜んでくれるのでは?自然を大事にして生活している証として。
話はそれましたが、にわとりが怖いって恵比寿さんも先入観つけられていないかなあと。本当は鳥でもあるように思います。
古代の鳥って川や海の移動の船の表現のように思います。その証拠に古代船は空飛ぶ?認識もあり。
間違いなくお水に関わるのは確かで境界の神も水なくして維持できない木や植物や溝と思えば根底に水神がいて恵比寿と関係してくると思います。境界の神を怖い物にして神と人間の距離を 作られている可能性があるならば、境界の神も恵比寿さんとして敷居を低くしても良さそうに思いますね。ただルールは守らないと神はみているので。5287、1038