続きます。
追記しておきます。何故、エホバの証人の信者はここまでもエホバを信じられるのか。
それは「新世紀 エヴァンゲリオン」で言うところの「人類補完計画」です。
私の記憶が正しければ、エホバの証人の信者となった144000人??のみ、永遠の命を得て死者も蘇るとのエホバとの契約があるとの事です。
輸血を拒否して子供が死んだとしてもエホバが蘇らせてくれる。だから子供の命よりもエホバへの信仰を選んだ。その話を本当に信じているのです。
私は信じられません。
私、幹部い言いました。「エホバの証人の信者数は全世界で850万人を超えているのでしょ。亡くなった人を入れたらそれ以上でしょ。
だったら今頃、エホバの証人の信者となっても144000人に入るのは至難の業。144000人に選ばれなかった信者達はエホバに見捨てられるのですか」と。
その質問にも幹部は答えられなかった。
1900年代の約束の日??、復活の日??が来ても死者は蘇らなかった。それで多くの信者がエホバから離れた。それでも信仰を続けている。その信仰心、悪い表現で言わせてもらうと病的です。
そう、宗教は人を病的にするのです。
江戸時代末期、一人のカトリック宣教師が伊達藩に捕縛された。水牢に引き立てられようとした。そこに宣教師から洗礼を受けた15人??の日本人信者が遣ってきた。自分達もカトリック信者である。宣教師と共に罪を受けると言い放った。
水牢は広瀬川の水が入っている牢です。身体の大半が水に浸かる。頭上にしか空気は無い。だから寝ることも身体を横たえることも出来ずに、立ったままの状態で数時間過ごす。
よくもまあ伊達藩はこんな残酷な刑を考えたものです。もっとも伊達藩での処刑者の多さは尋常ではない。広瀬川で5600人の処刑者、七北田川では7600人の処刑者が江戸時代に流されたとの話も聞いています。
宣教師と15人の信者は水牢の刑を何日も受けた。改宗すれば許されるのに一人も改宗者は出なかった。それで全員処刑されています。
キリシタンは死んでも蘇るとされているので、全員の遺体は細切れにされて広瀬川に流されました。
オウム信者もそうですが、一度信じた宗教から抜け出すのは困難です。死んでも信じ続ける者がいる。そんな者を改宗させるのは簡単な事ではありません。
イエスの弟子達でさえ「イエスなんて知らない」と言って刑を免れた。しかし、信仰深い日本人は簡単ではない。
それが今も続いている。他人から見たら呆れかえるカルト教団の教えであっても信じ続ける。
私もHSPであり、多少でも知識が無ければ、彼らに疑問を持たなければ、信者になっていたと思います。
そろそろ本題に入ります。「ハヤブサ消防団」でのアビゲイル騎士団は創世記に6人の信者をリンチして殺した。これはエホバの証人の躾と称する子供への鞭打ちと同じです。それでアビゲイル騎士団は国により解体された。
でも、信仰は続いていた。初代聖母は亡くなったが、二代目聖母を任命しアビゲイル騎士団の再興を進めていた。その約束の地をハヤブサ地区に定めた。
それて殺人事件が起きましたが、神を信じた者は神の命とあれば躊躇なく人を殺します。それが信仰心です。神の為なら何でも出来るのです。
続く
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます