諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

二羽渡神社と鹿狼山の手長。そして、もののけ姫。 その5

2013年10月15日 08時28分22秒 | 神道

また横道にそれちゃいました。軌道を修正して山津見神社に戻します。

この山津見神社、暇な方はネットで写真を検索して欲しいのですが、狛犬は狼となっています。狼と言えば三峰神社。祭神はイザナギ命・イザナミ命です。狼はこの二神の眷属と言えます。

それが山津見神社の狛犬も狼であるならば、大山祇神の眷属も狼と言う事になります。まあ、それだけこの地方は狼が多かったと言う事でしょうね。

狼が山津見神社の狛犬になった経緯が、神社の古文書に残っています。

時は今から約1000年前、この地方を橘墨虎なる賊が牛耳っていて時の朝廷に反旗を翻し、地方の豪族を傘下に入れ暴れまわっていたそうです。

それで陸奥守・鎮守府将軍の源頼義が、朝廷の命で立ち上がり墨虎を撃退。墨虎は一時、宮城県の亘理に後退。亘理に拠点を移した訳です。

それでも墨虎はこの相馬地方を取り戻そうと神出鬼没のゲリラ戦を展開。流石の源頼義も困っていた処、山神が源頼義の前に現れ「白狼の足跡を辿って行け」とのお告げを下し、源頼義は素直に従い足跡を追追従。そして墨虎のねぐらを発見、無事に成敗と相成った訳です。

それで山神にお礼という事で、山津見神社を建立。白狼を狛犬にしたって事ですね。

山津見神社には大山祇神のみ祭られて居ますが、大山祇神には内縁の妻が居ます。野椎神こと鹿屋野姫です。

鹿屋野姫の「鹿屋」は「萱」を意味で、鹿屋野姫は草原の女神と言えるのですが、「鹿屋」の字、気になりますねぇー。

鹿狼山の手長は年老いた鹿を連れている。そして手長は大山祇神の子。っとしたら手長の母・鹿屋野姫が、手長が連れている年老いた鹿なんじゃないでしょうか。

考えてみたら「もののけ姫」に、ヤックルではない鹿の様な生き物が出てました。あのダイダラボッチになる前の人の顔が合わさった様な鹿です。あの首を落とされた奴です。

そうすると、白狼=モロ=山神の眷属、鹿=鹿屋野姫=ダイダラボッチ、足長=アシタカ、手長=サン=瀬織津姫になるのでしょうか。

サンは英語で太陽。瀬織津姫は天照大神荒御霊。どっちも太陽繋がりです。

アシタカは足長としましたが、足長はナガスネ彦と集合して考えられています。

「だったら猪の乙事主はどこ言ったんだ」となりますが、先の墨虎って蝦夷であるはずです。蝦夷は恵比寿と呼べますし、乙事主って事代主にニュアンスが似てますよね。だったら「墨虎=乙事主=恵比寿様」となったりして。

 

つづく。

 

 

 

 

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二羽渡神社と鹿狼山の手長。そして、もののけ姫。 その4

2013年10月13日 08時12分00秒 | 神道

さて、この新地町に新地貝塚がある理由として興味深い伝説があります。

新地貝塚、二羽渡神社にも程近い鹿狼山には昔、白い狼と年老いた鹿を連れた手長が住んでいて、その鹿狼山の頂上にどっかと腰をかけ、その自慢の長い手を海まで伸ばし貝を獲っていた。そして食べ終えた貝の殻を捨てていた場所が新地貝塚と言う事です。

考えてみれば鹿狼山から程近い??、相馬の松川浦は蛤が名産です。多分、蛤食べていたのではないでしょうか。

そう言えば宮城県にも似た話があります。それは太白山です。太白山の頂上にも巨人が腰をかけ、手を伸ばし貝を獲っていた伝説があります。勿論、太白山周辺にも貝塚があります。

太白山からだと名取市の「ゆりあげ(名取川の河口)」、亘理の「鳥の海(阿武隈川の河口)」で貝を獲っていたと思いますが??(私も結構いい加減)、「ゆりあげ」なら赤貝、「鳥の海」ならホッキ貝が名産です。旨い物喰ってたようです。

因みに「ゆりあげ」は十一面観音が揺り上げられた事から付けられています。「鳥の海」も鳥海は「トミ」と発音しますね。十一面観音は手が長いのが特徴で瀬織津姫とされていますし、「鳥海」も鳥見長髄彦なら足が長いのかも。偶然でしょうかね。

 鹿狼山に戻ります。鹿狼山の名も手長が連れていた白狼と、年取った鹿から名付けられたのでしょう。

実際、意外だと思うでしょうが、福島県の太平洋側にはその昔、多くの狼が生息してました。狼と言うと森の中、山の中をイメージしますが、狼は塩が大好きで、海の近くに生息しているもんなんだそうです。

狼と言うと、「送り狼」と言う言葉があります。現在は全然違う意味合いで使われていますが(笑)、本当の話は「旅人や村人が山で道に迷うと、どこからとも無く狼が現れ、付かず離れずの距離を保ちながら人里まで道案内をする」事から、そう呼ばれる様になったんです。

一部の狼は確かに人間に親近感を持っている見たいです。でもその理由は人間の尿が目的と言われてます。動物の中で、人間の尿の塩分が一番高いので、それを舐めたいという事ですね。当然、鹿も塩が好きです。動物も塩が必要と言う事です。つまり、福島県の太平洋側は、全国でもトップと言っていいほど、昔は狼や鹿が生息していた地域だったといえます。

 鹿狼山の頂上には、鹿狼山神社が鎮座してます。祭神は手長足長。これはまぁー当然ですね。

ここでこれまで登場した役者は、手長、足長、白狼、鹿です。

これっ、またまた強引ですが宮崎駿原作「もののけ姫」のキャストに似ていませんかねぇー。

私、このアニメを見た時、「あれっ、どっかで見たような」と感じがしたのですが、この鹿狼山の手長伝説にそっくりだと思いました。まっ、偶然だとは思いますけど・・・・・・・・・・・。

登場人物を照らし合わせますと白狼がモロ、鹿がヤックル、足長がアシタカ・・・・・・、そうなるとサンは手長になるのでしょうか。

実は岩手県と秋田県の某所に二匹の白い狼、もしくは山犬を連れた武装の女神の厨子が伝わっています。この武装の女神ですが、瀬織津姫だそうです。っと言う事は、「サン=手長=瀬織津姫」になるかもです。

宮崎駿さんが瀬織津姫を知っていたかどうかは知りませんが・・・・・・。

そう言えば、鹿狼山から割りと近い場所に山津見神社(祭神・大山祇神)があります。飯館村にです。私も鹿狼山ともども、かねてから参拝に行きたいと思っていたのですが、現在は放射能で立ち入り禁止区域となっています。

しかも大変残念な事に数ヶ月前、その山津見神社が火災になり拝殿と社務所が焼け、宮司さんの奥様が亡くなられています。

本来は立ち入り禁止区域ですのでそこに住んではいけない事になっていたのですが、宮司夫妻は神社を放って置けなかったのだと思います。どっかの隣国人が泥棒に入りますしね。本当に嘆かわしい事です。「ご冥福をお祈りします」の一言しか言えません。

でも、これって、何を意味するのでしょうか。神道って、人生って、一体何なんでしょうか。何で死ななければならなかったのか。何の因果なのか、本当に世の中分からない事だらけです。

 

つづく。

 

 

 

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二羽渡神社と鹿狼山の手長。そして、もののけ姫。 その3

2013年10月11日 11時56分25秒 | 神道

続きです。

 二匹の白雀の神・二羽渡権現を祀る二羽渡神社には、もう一神祀られている神がいます。その名は手長明神。またまた一般的には知られない神の登場です。

この手長明神、本来は二羽渡神社近にある新地貝塚に社が有ったのですが、神社界もリストラの時代では無いでしょうけど二羽渡神社に合祀された訳です。

しかし、けっして大きいとは言えない社に権現様と明神様が祀られているのも凄い話です。もっとも権現様であっても明神様であっても、呼び名の違いと言われればそれまでですがね。

それにしても二羽渡権現と手長明神って、どんな関係にあるのでしょうか。

実は鬼渡系の神社近辺にはダイダラボッチや一つ目巨人の伝説が多く見受けられます。特に東北では。そして手長は足長におんぶされれは巨人です。つまり手長足長がダイダラボッチと考えて良いと私は思っています。

その外、手長足長は八岐大蛇に娘を生贄にされた手名椎命・足名椎命とされています。スサノオ命と結婚した奇稲田姫の両親でおり、大山津見神の子供でもあります。つまり手長足長は兄弟であり夫婦です。聖婚のセオリーに当て嵌まる古い神様だといえますね。

その手長と白雀の二羽渡権現との関わり。二匹の白雀が、赤玉と白玉をそれぞれ持っていると言うのがヒントなんでしょうね。

赤玉と言うと、朝鮮で昼寝をしていた女に光??が射して赤い玉を産んだ。その赤玉から産まれたのが阿加流姫。その阿加流姫と結婚したのが天日矛命。

でも二人は喧嘩して、阿加流姫は日本に逃亡。未練タラタラの天日矛命も阿加流姫を追って、日本へ向かったと言う伝説があります。

この伝説、赤玉だったり白玉だったりするんですが、阿加流姫の「阿加流」を「赤琉」と表記すれば「赤く輝く玉」を意味します。

っとすれば赤玉持っている白雀は赤玉を産んだ昼寝の女か、赤玉から産まれた阿加流姫となります。かなり乱暴ですけど・・・・・・。

乱暴ついでに白玉の方は阿加流姫と言えなくも無いですが、天日矛命の可能性もあると思います。

何故なら宮城県多賀城市に、天日矛の流れの武内宿彌を祀る仁和多利神社があります。武内宿彌は息長氏です。息長氏は鶏を神聖化しています。そんなところが糸口だと思うんですけど、今回は糸口はそのままにしときます。長くなりそうなんでね。

ただ一言申し上げますと、天日矛命は出雲帝国にスパイの如く侵入し、内側から崩壊させたとの説がある天穂日命との関連も指摘されています。天孫族から出雲の支配を任されたとも考えられるのです。

それに対し手名稚命・足名地命は、スサノオ命が日本に来る前からいた地主神です。つまり二羽渡権現と手長明神は敵対している。もしくは二羽渡権現が手長明神を調伏しているのではないでしょうか。

この件に付きましては、まだまだ事例を出さないとハッキリとは言えませんが、結構大切な事なんで、ニュアンス的に覚えていてください。

 

つづく。

 

 

 

 

 

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二羽渡神社と鹿狼山の手長。そして、もののけ姫。 その2

2013年10月09日 08時10分44秒 | 神道

さて、ここからが本題です。何時もながら前置きが長くて済みませんね。

国道6号線が通る宮城県と福島県のほぼ境界線上に、相馬郡新地町があります。ここには鬼渡系の神社でも謎が多い「二羽渡神社」が鎮座しています。

この二羽渡神社の主祭神は二羽渡権現。この二羽渡権現様のお姿は二羽の白い雀だそうです。それぞれ白い玉と赤い玉を持っているのだそうです。

何でも稲を食い荒らす害鳥をこの二羽の白雀が撃退。それを感謝し神様に祭り上げられた様です。その後、天竺に帰ったとか、天竺から来たとか言われている様です。様ですばかりの様です。

これは難しいですが、私はこう考えます。

先ず、稲を喰う害鳥って雀ですよね。これ、多分「雀様、ワシらの米、食べないでくんち。それでなくても年貢が厳しいんですから・・・・」って事で、雀に米を食べない様、お願いする形で雀が神格化したのではないでしようか。

通常でしたら「お稲荷様、狐様。米を喰う害鳥の雀どもを成敗してくんち・・・・」と言う考えで、お稲荷さんを鎮座させると思います。

何故、そうしなかったのか。この土地は「白鳥伝説」が残る白石、丸森から近いので、その考えから鳥を恐れて、雀が神格化したのではないでしょうかねぇー。

白鳥伝説については流石に簡単には説明出来ません。ヤマトタケル命や死んだら鳥になるとの考えが根底にあるとは思いますが、それだけではないと思います。

この地域の人々は極端に鳥を恐れますからね。鳥の羽が触れただけでも発狂常態になったそうです。

白石城主の文には、「百姓どもが一揆を起こしても全然大丈夫。槍の先に鳥の羽付ければ、百姓どもは恐れて逃げていきますからね、うしゃしゃしゃしゃ~」なんて書いています。鳥を食べるなんて事も絶対ありません。

何でこれほどまでに恐れるのか。

私、鳥インフルエンザが原因じゃないかと思うんです。現にロシアでも渡り鳥の飛来地の住民は鳥を恐れているそうです。つまり、昔から鳥インフルエンザがあり、死の病として恐れられていたのではないでしょうかね。

現に鬼渡神は疱瘡神です。鳥インフルエンザも疱瘡に入るのではないでしょうか。

疱瘡も鳥インフルエンザも子供がかかりやすい。勿論、昔はワクチンなんて無いですから、発症したら死ぬ危険性が高かった。だから極端に恐れ、二匹の白雀を祀る二羽渡神社が建立されたと思うんです。全ては祟りを恐れての事だと思います。

そう言えば以前、中国の毛沢東は、雀を見て「害鳥である」と発言。雀を根こそぎ駆除させた事があります。

結果どうなったか。米を食い荒らすイナゴが大量発生し、大飢饉になったそうです。馬鹿な事したもんです

何時もながら、話しは少々外れてしまいましたが、これは祟りを恐れ自然を神とする日本人と、徳のある者に殺されれたなら「納得っ」と言って死んでいく、人の命を昔から軽く考える中国人との違いだと思います。

ちょっと日本人に生まれて良かったと思いましたね。

 

つづく。

 

 

 

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二羽渡神社と鹿狼山の手長。そして、もののけ姫。 その1

2013年10月06日 23時24分19秒 | 神道

私、何度も言う様ですが、福島県いわき市の生まれ。現在は宮城県仙台市在住です。

当然、父方、母方の祖父祖母はいわき市に住んでまして、盆と正月は4号線から6号線、つまり浜通りを通って帰郷してました。

距離は190キロ台の道のりでしょうか。ノンストップでクルマを走らせて3時間40分。食事を取り取りで4時間20分位かかってましたね。

今思うとホントに良い思い出でした。中間点の原町市(現・南相馬市)には東京タワーの先輩格で、まるで細いバベルの塔の様な原町無線塔(通称・電波塔。全長200m。関東大震災の発生を全世界に発信。現在は解体され、10分の1程度のミニチュア番がモニュメントとしてある)が立っていて、「やっと半分・・・・」なんて思ったりしたもんです。

今はご存知の通り、福島第一原発の放射能事故で通れなくなっています。半径20キロ県内はね。

仕方なく、現在は4号線から中通りを通って郡山市へ。そこから磐越線の下道を通っていわき市に行ってますが、ノンストップで浜通りより1時間以上かかります。

高速使えば3時間とチョットで付きますが、何で東電のせいで高速代使わにゃならんと思いますね。「高速代出せよ東電」と何時も思いますよ。まっ、意地でも私は高速は使いませんけど・・・・・、腹が立ちますしね。

まっ、このプログ読んでいる奇特な方は、東北地方以外の方もいらっしゃると思いますが、もし、お近くの地域が立ち入り禁止となったらどう思いますが。しかも立ち入ると放射能で体が蝕まれるとしたら・・・・・。

私、正直、まだ実感がわかないのですよ、未だに。こんな事、私の故郷で起きているなんて未だに信じられません。

童謡に「汽車」と言う歌がありますよね。「今は山中、今は浜、今は鉄橋渡るぞと。思う間も無くトンネルの~、闇を通って広野原~」ってヤツです。

この歌、実はいわき市の平駅から汽車に乗って下りの常磐線を走り、広野町の野原までの車窓の景色を歌っているんですが、この広野町が原発20キロ区域で入れないなんて、本当に信じられませんよ。

いやー本当に、本当にエライ事してくれたもんです。津波は仕方ないとしても、放射能は何とかなった筈ですからね。悔やんでも悔やみ切れません。

私、震災で多少なりとも欝を併発しておりますが、この地域に住んでらっしゃる方は辛いでしょうね。私でさえ辛いのですから、本当に気の毒でなりませんわ。

解決する日が来るのか来ないのかも分からんし、只、只、呆然とするだけですわね。

えー、話は最初から大幅にずれて、私の愚痴からスタートしてしまいました。失礼しました。6号線の浜通りに戻します。

実は、子供の頃から疑問に思っていたことがありました。何故、6号線はもっと海っぱたに造らなかったのだろうかと。

私、無類の水好き、釣り好きで、川や海を見るとワクワクするんで、「ずっーと海を見ながら故郷に帰れれば良いなぁー」なんて思っていたんです。海は広野町に入って、やっと見えてくるだけでしたからね。

それに6号線は古来からの道との事ですが、6号線近辺は貝塚や古墳が多く点在しています。

海で魚や貝を捕りに行って、何で数キロ離れているこんな所に貝塚や古墳があるのか不思議でなりませんでしたね。

 でも、3.11でやっと分かりました。津波は6号線でギリギリ止まりましたから・・・・・・・。

つまり昔の人は、津波がここまで来た事を知っていた。だから海の近辺には居住していなかった。故に6号線の近くに古墳・貝塚があるのだ。そして昔津波があった事を忘れてしまったから、3.11で甚大な被害が出て、放射能事故にも繋がったのだと・・・・・。

昔の人は津波の警鐘を古墳、貝塚、そして古道であった6号線の存在で鳴らしていた。それに現代人は気付け無かった・・・・・・。

あー、ホント残念です。残念で残念でたまりません。本当に残念です。

 

つづく。

 

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