間が大分開いちゃいました。失礼しました。福島に旅行に行っていました。それでは続きです。
実は今までにも何度も書いて来ましたが、「龍」は日本には居ません。元々から居ませんし、現在も居ません。居るって言ったら中国人に笑われてしまいます。
竜の字は「冠を被った蛇」を表しています。「蛇の王」と言う意味です。それは仏教から考えるとコブラの事です。
三蔵法師がインドや西域から経典を持ち帰って中国語訳にする時、インドのコブラをその姿から竜と訳したのです。
元々の中国の竜は恐竜の骨、もしくはワニから来ているのでしょうけど、「インドのコブラも竜にしちゃえ」と言う事です。
そしてその竜を装飾に用いたのが「龍」。龍の字は「衣服等にあしらった竜」の意味です。威厳を出す為に多くの動物の部位を用いて、王符と言う人がデザインしたのです。
エジプトではコブラを信仰していたので、コブラをそのまま装飾に使うのは色々問題がある。中華思想の中国のプライドに関わると考えたのかも知れません。
中国の龍に付いてはルールがあります。
先ず中国の皇帝にだけ最高位の「5本指の龍」のデザインが許されている。それ以下の中国の臣下は「4本指の龍」。中国の属国は一番下っ端の「3本指の龍」を使えと伝達されています。
ブータン王国の国旗には3本指の龍が描かれていますが、ブータン王国は中国の属国です。
大体、「王」字の意味はキングではなく、「中国の属国のリーダー」と言う意味です。だから王でも3本指の龍しか使っちゃダメと言うのが中国の考え方なのです。
中国からしたら日本なんて中国の属国です。日本は「下賎な国」の意味である「倭国」と呼ばれていましたから。
そして日本の天皇も「倭国王」と呼ばれていた。天皇は「下賎な国のリーダー」。中国国民以下の者とされているのです。
さて、ここまで書くと「和龍日の丸国旗」が中国の感情を逆撫でしているのがお分かりだと思います。
「和龍日の丸国旗」で描かれている5本指の龍は中国の皇帝を意味する。その皇帝が日本の日の丸の国旗の中で「円・丸」を描いている。
「丸」は「手を前で縛られて処刑を待つ身」と言う意味です。服従の姿です。つまり日本国に中国の皇帝が服従している意味。日本国に屈している。これは中国も怒る筈です。
朝鮮国からしても日本は自分達より下の中国の属国と考えています。それが「和龍日の丸国旗」で中国よりも上を主張している。当然、朝鮮国よりも日本の方が上だと言っている様なもの。朝鮮国もそれは許せないと考える筈です。
仙台市の市長は代々民主党の支援を受けている。仙台市は民主党の支持基盤。民主党は中国・朝鮮寄りの政党。だからこそ仙台市は中国・朝鮮に配慮して青葉神社に対し、「和龍日の丸国旗」の禁止を求めたのではないでしょうか。
日本への龍の浸透は、龍神の力を宿していると言われる新羅の文武王に対抗する為です。奈良時代の僧・行基が流行らせたのです。
日本を襲うと考えられた新羅に対し、「龍神には龍神」考えから行基が日本に広めたのです。
そして神仏習合時代に神社でも龍は掲げられ信仰された。神道の一面を担った。神社側にも龍に対し言い分が有る。そんな感じだと思います。
神道とは1500年代に来日したイエズス会が、日本の得体の知れない地主神に対する信仰に対して名付けた名称です。日本では元々神道などとは読んでいない。国際的に海外の国々が日本の神社の宗教??を神道と読んでいた。それで昭和7年に神祇と読んでいた宗教??を、世界的な呼び名である神道に統一したのです。
元々の神道は「タツ」への信仰から発生しています。
タツとは地上より天空に立ち昇る存在。それは竜巻、虹、草木、川、泉、山、火山、磐、蛇、熊、蛙等々、地上から発生するもの。自然界への信仰。見えない存在である神に対する信仰です。
その見えない神・タツは蛇に象徴された。蛇のようなものと考えられていた。それが大陸から渡って来た分りやすい存在である龍と集合した。
真実を追究するのであれば、龍は日本の神ではない。タツこそが日本の神。誰にも見る事が出来ない神。それがタツ。私はそう考えています。
仏教は大陸から渡って来たのだから龍を象徴としても当然良いですが、日本の神道は海外に誤解に誤解させない為にも、そろそろ龍と分けて考えるべきだと思います。
こんな事書くとスピリチュアル界隈を始め、多くの分野・団体の人達から異論が出るでしょうけど、そろそろ本来の日本固有の考えに戻る時期に来ていると私は思います。
日本の信仰は元々、大変シンプルな存在だったのですから。
ではでは。
実は今までにも何度も書いて来ましたが、「龍」は日本には居ません。元々から居ませんし、現在も居ません。居るって言ったら中国人に笑われてしまいます。
竜の字は「冠を被った蛇」を表しています。「蛇の王」と言う意味です。それは仏教から考えるとコブラの事です。
三蔵法師がインドや西域から経典を持ち帰って中国語訳にする時、インドのコブラをその姿から竜と訳したのです。
元々の中国の竜は恐竜の骨、もしくはワニから来ているのでしょうけど、「インドのコブラも竜にしちゃえ」と言う事です。
そしてその竜を装飾に用いたのが「龍」。龍の字は「衣服等にあしらった竜」の意味です。威厳を出す為に多くの動物の部位を用いて、王符と言う人がデザインしたのです。
エジプトではコブラを信仰していたので、コブラをそのまま装飾に使うのは色々問題がある。中華思想の中国のプライドに関わると考えたのかも知れません。
中国の龍に付いてはルールがあります。
先ず中国の皇帝にだけ最高位の「5本指の龍」のデザインが許されている。それ以下の中国の臣下は「4本指の龍」。中国の属国は一番下っ端の「3本指の龍」を使えと伝達されています。
ブータン王国の国旗には3本指の龍が描かれていますが、ブータン王国は中国の属国です。
大体、「王」字の意味はキングではなく、「中国の属国のリーダー」と言う意味です。だから王でも3本指の龍しか使っちゃダメと言うのが中国の考え方なのです。
中国からしたら日本なんて中国の属国です。日本は「下賎な国」の意味である「倭国」と呼ばれていましたから。
そして日本の天皇も「倭国王」と呼ばれていた。天皇は「下賎な国のリーダー」。中国国民以下の者とされているのです。
さて、ここまで書くと「和龍日の丸国旗」が中国の感情を逆撫でしているのがお分かりだと思います。
「和龍日の丸国旗」で描かれている5本指の龍は中国の皇帝を意味する。その皇帝が日本の日の丸の国旗の中で「円・丸」を描いている。
「丸」は「手を前で縛られて処刑を待つ身」と言う意味です。服従の姿です。つまり日本国に中国の皇帝が服従している意味。日本国に屈している。これは中国も怒る筈です。
朝鮮国からしても日本は自分達より下の中国の属国と考えています。それが「和龍日の丸国旗」で中国よりも上を主張している。当然、朝鮮国よりも日本の方が上だと言っている様なもの。朝鮮国もそれは許せないと考える筈です。
仙台市の市長は代々民主党の支援を受けている。仙台市は民主党の支持基盤。民主党は中国・朝鮮寄りの政党。だからこそ仙台市は中国・朝鮮に配慮して青葉神社に対し、「和龍日の丸国旗」の禁止を求めたのではないでしょうか。
日本への龍の浸透は、龍神の力を宿していると言われる新羅の文武王に対抗する為です。奈良時代の僧・行基が流行らせたのです。
日本を襲うと考えられた新羅に対し、「龍神には龍神」考えから行基が日本に広めたのです。
そして神仏習合時代に神社でも龍は掲げられ信仰された。神道の一面を担った。神社側にも龍に対し言い分が有る。そんな感じだと思います。
神道とは1500年代に来日したイエズス会が、日本の得体の知れない地主神に対する信仰に対して名付けた名称です。日本では元々神道などとは読んでいない。国際的に海外の国々が日本の神社の宗教??を神道と読んでいた。それで昭和7年に神祇と読んでいた宗教??を、世界的な呼び名である神道に統一したのです。
元々の神道は「タツ」への信仰から発生しています。
タツとは地上より天空に立ち昇る存在。それは竜巻、虹、草木、川、泉、山、火山、磐、蛇、熊、蛙等々、地上から発生するもの。自然界への信仰。見えない存在である神に対する信仰です。
その見えない神・タツは蛇に象徴された。蛇のようなものと考えられていた。それが大陸から渡って来た分りやすい存在である龍と集合した。
真実を追究するのであれば、龍は日本の神ではない。タツこそが日本の神。誰にも見る事が出来ない神。それがタツ。私はそう考えています。
仏教は大陸から渡って来たのだから龍を象徴としても当然良いですが、日本の神道は海外に誤解に誤解させない為にも、そろそろ龍と分けて考えるべきだと思います。
こんな事書くとスピリチュアル界隈を始め、多くの分野・団体の人達から異論が出るでしょうけど、そろそろ本来の日本固有の考えに戻る時期に来ていると私は思います。
日本の信仰は元々、大変シンプルな存在だったのですから。
ではでは。