諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

悪質賃貸人を見分ける方法。その1

2020年01月25日 12時17分36秒 | 不動産賃貸業
数日前の話です。うちの物件の空室に不動産屋から入居者が決まったとの連絡があったのですが、再三考えて入居を断りました。

チョッとガッカリな部分はありますが、どう考えても禍になる。今までにも何度も経験して来た。

私の父親なら全然OKだったでしょうけど、私の目と判断には間違いない。絶対の自信を持って入居を断りました。今回は其の時の詳細を書きたいと思います。

さて、数年前の仙台市の空室率は5パーセント以下でした。震災の影響で仙台の賃貸物件は、ほぼ100パーセント埋まった。

それを見逃す不動産投資家はいない。仙台の空き地や売りアパートを買い捲った業者がわんさと出た。全国の不動産屋や投資家が買った。そしてアパートの新築ラッシュと相成りました。

私の家の物件でも全部埋まっていましたが、やっぱりここに来てバンバン出て行かれました。それは仕方が無いです。仙台の空室率は現在、全国平均よりも下回ってしまいましたから。

半年前のデーターですが、仙台市の或る区では空室率26パーセントだそうです。ほぼ0パーセントがここ3年前後で、一気に26パーセントまで落ち込んでいる。その下落率は日本全国ワースト1です。

そのデーターは半年前と言いましたが、その半年前の数値で計算しているでしょうから、1年前の段階での空室率と考えられます。現在でしたら、30パーセントに達していると私は考えています。

こんなもんじゃ済まないです。私の家の通りも土地が売りに出されている。東京資本に買われた土地に、賃貸物件がまだまだ建つ。空室率40パーセントも近々おとづれる可能性が高い。仙台の空室率は全国ワースト1になっても全然可笑しくない。

現に20代の人口流失率は全国トップです。ブラック企業だらけの仙台ではまともな職にありつけない。公務員以外、将来生き延びられるか大変不安。私も20代、30代の方は、仙台から直ちに出て行った方が良いと思います。

そう言う事で、私の家の物件も敷金・礼金を0にしました。それでなくても仙台の所得は大幅に減っている。高い家賃を払える人は減少している。仙台の大家が生き残れるのは至難の業です。

ただ、クリーニング代として1ヶ月貰ってます。その位の金額は本当に掛かります。足りない位です。

今年、業法の改正で敷金はほぼ全額返さなければならなくなった為、この方法にしました。結果、2部屋が埋まりました。家賃も馬鹿親父の手違いで大分安くしましたが。

私の家での不動産賃貸業が上手くいっていない原因は、自己管理だからだと思っています。不動産屋なら良い客は管理を委託されている物件入れる筈。そして危なそうなのは、自主管理の大家へ持って行く。

だから私の家の物件は問題のある人物たらけ。その後始末は私。親も人間も信じられなくなるってもんですよ。

最近入居した人物も水商売の方。1人は外国人。普通だったら入居させるのは不安ですが、仙台の将来は地獄。仕方なく入居させました。

まっ、しょうがないです。自主管理しているのですから。


続く。
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神社にとって桜とは・・・・。【いわき市小名浜・住吉神社にて】その2

2020年01月23日 16時51分43秒 | 神道
続きです。

この住吉神社に佇んで感じたのですが、私の友人が宮司を勤める神社と雰囲気が似ている。当然と言えば当然かも知れません。友人の神社も住吉三神を祀っていますから。

それとどうも住吉神社も天照大神を摂社に祀っているみたいです。かなり祭神が重なっている。同じ系統の神社なのかも。

住吉神社には裏山があり、ポッツン、ポッツンと摂社が鎮座しているみたいです。参拝しようかとは思いましたが、正月なので本殿だけの参拝にしときました。今度来た時、参拝して見ましょうかね。

さて、最後、去年と同じように御神籤を引こう。

御神籤の種類は子供御神50円、恋愛御神籤50円、そして飛び出す絵本的に花が飛び出す華御神籤が100円です。

去年は50円玉が無く花御神籤を引きましたが、今年も何故か50円玉が無い。いい歳して子供御神籤は考えられんし。恋愛御神籤もどうもね。やはり華御神籤を引きました。

去年は金木犀が出て来て大吉だったが今年はどうか。結果、桜が出て来て吉でした。

御神籤には桜に付いての記述と桜の句が。

見渡せは 春日の野辺に霞立ち 咲きにほへるは桜花かも    万葉集より

「桜 古き時代には、桜は神の化身と考えられており、そこに神が宿り、四方八方の田畑に飛び移り、稲を豊に実らせると思われていました。人々は桜の花びらが散る様を、"穀物の神の種まき"と称し、尊んだと言われています」。っと書かれていました。だから神社には桜の木が植えられているケースが多いのでしょう。

でも、鬼渡神で神道を考える私は、桜に付いて負の部分もあると思います。

上記の文で「桜は神の化身」と書かれていましたが、桜の花びらに置いては神の眷属が宿ると考えます。

そして桜の花弁ほどの大勢の眷属を持つ神は、疱瘡神である大歳神。桜は大歳神の花。

桜の花が咲くが如く疱瘡が発生し、桜の花弁が散るが如く疱瘡が撒き散らされる。つまり神への不敬を許さぬ印として、桜の木が植えられている部分もあると考えています。

因みに桜がキーワードになっている神社の多くは、影に大歳神様を祀っています。

例えば七五三で有名な神社。七五三は子供がその歳まで生きれた事に対する感謝の儀式です。子供の命を奪うのは疱瘡。だから子供が疱瘡にかからないように、疱瘡神である大歳神に礼を述べる。七五三ではその事を頭に入れて参拝した方が良いと思います。

因みに七五三と言えば千歳飴です。千歳飴の「歳」の字は、大歳神様を示しているのではないでしょうか。

そして大歳神様は境界線の神でもある。古くからの境界線は川。大歳神様は二位一体の神。妻とされる天知迦流美豆姫は天の川の神。つまり水神。

水神は土に弱い。この話は以前しましたが、陰陽五行の考えで川を濁す土に弱いと考えられた。

土の香りは甘いとされる。それは桂泉信仰からも分かりますが、水辺を好む桂の木は綿飴と同じ甘い香りを発する。古来の井戸は桂の木股で泉を囲んだもの。つまり土である甘さで水を調伏したのが井戸。

そこから考えると千歳飴は、疱瘡を防ぐアイテムとして考えられたのではないでしょうか。

話は変な方向に行ってしまいましたが、神社にとって桜とは正と負を表している。桜は五穀豊穣の象徴でもあるが、桜の尊さと同じように神社を敬わなければ禍が起きる。それを人々に知らせる為の意味も有るのではないか。

私は桜の木に対し、どうしてもその様に感じてしまいます。尊さとと恐ろしさ、美しさと畏怖、それが神。だからこそ神社に桜の木を植えるのだと思います。


ではでは。







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神社にとって桜とは・・・・。【いわき市小名浜・住吉神社にて】その1

2020年01月20日 10時28分47秒 | 神道
正月の禊旅で、今年もいわき市小名浜の住吉神社に参拝して参りました。

去年の正月、偶然、住吉神社の前を通り、その只ならぬ癒され感からアリオンを止め参拝。温泉に浸かる様に、私の禍を浄化して参りました。

今回も是非行こうとホテル塩屋崎の日帰り湯から立ち寄ってみました。

やっぱりこの神社は素晴らしい。何が良いって正月から「どんと祭」をしている。古くなったお札やお守りを焼いているのです。

その火に当たる。浄化される感じがする。空気の温泉に浸かっているみたい。

考えてみたら神社と温泉は似ています。温泉で疲れを癒す。神社で浄化して心を癒す。温泉と神社は対の存在なのかも知れないです。

この住吉神社は日本七大住吉様に数えられている由緒ある神社です。

東北人の私としては微妙な気持ちなのですが、武内宿禰が東北巡視の際、この地に立ち寄り住吉三神を祀ったのが起源らしいです。現に901~923年に作成された書物にも神社名が載っているそうです。

武内宿禰は福島県いわき市に1年半滞在し、スパイ活動をしていたとの伝承を聞いた事がありますが、本当だったのでしょうねぇー、多分。

武内宿禰が塩竃神社に祀られている塩土老翁との説もありますが、塩竃市の隣の多賀城市下馬笠神に、武内宿禰を主祭神とした仁和多利神社が鎮座しております。

境内には蛇神と彫られた石碑があり、神名不明の摂社が鎮座している事から考えると、武内宿禰により鬼渡神を調伏していると私は考えております。現に子供の百日咳にご利益があるとされていますし。

百日咳。つまり疱瘡です。疱瘡神と言えば鬼渡神です。それに笠神の地名は疱瘡神を示しています。

本来、仁和多利神社に祀られている神は鬼渡神。その鬼渡神を調伏する為に武内宿禰を祀った。そして本来の地主神である鬼渡神は忘れられ、祭神名が消えたのでしょう。

神社名が仁和多利神社なのですから、これ、間違いないと思います。

私はこの仁和多利神社は塩竃神社と対の関係にあると考えております。理由は長くなるので、何れまた書きたいと思います。

話を小名浜の住吉神社に戻します。

この住吉神社は割りと辺鄙な場所に鎮座しているのですが、参拝客は中々の多さです。

でも、お札を焼いている場所は人気がいない。巫女さんと禰宜さんが黙々とお札を火にくべています。そこに私が火に当たっている。このシュチエーション、去年もまったく同じでした。

私はテレパシーで巫女さん、禰宜さんに「お久しぶりです。今年も宜しくお願いします」と語りましたが、お二人はチラリ、チラリと私を見ながら、お札をくべている。

「火の前に太った奴が随分と長居しているなぁー」と思っていたでしょう。

でも、こう言うの私としては嬉しいもんです。これだけでも来た甲斐がありました。


続く。

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妖怪・沼御前のモデルは、瀬織津姫と考えて良いと思う。【沼沢湖・沼御前神社にて】その4

2020年01月18日 01時16分40秒 | 瀬織津姫
続きです。

先の伝承ですが、会津藩??の領主である佐原十郎義連は実在の人物と考えます。諸説あるみたいですが。

どうも、この佐原十郎、源頼朝直属の家臣のようです。警護役だったとか。っと言う事は武術に秀でていたのでしょう。

考えちゃいますねぇー、私の家系には源頼朝の父・義朝を殺し、源頼朝に殺された長田忠致・景致親子に繋がりますので。敵対してますね。

その佐原十郎義連らが討った大蛇・沼御前は何者なのか。私は人間・瀬織津姫だと考えます。所謂、水の女、祓いの女と呼ばれた人間の女性達です。

この沼沢湖の水は今でも中々の透明度です。昔はもっと綺麗だった筈です。その水で人々の祓い清めをしていた。信仰を集めていた。

その水の女、祓いの女は海人・アタ族の血筋。古くから朝廷の勢力に追われ、この地まで逃げて来た。一族で祓い清めの儀式を沼沢湖で行っていた。

私の生まれた好間町に流れる好間川の蛇岸淵にも織姫伝説が残っています。

福島県の河川には多くの織姫伝説が残っていますが、瀬織津姫のモデルである水の女、祓いの女達が祓い清めの儀式をしていた。この祓い清めが神道のルーツの可能性は高いです。

蛇岸淵と沼沢湖の大蛇。織姫と蛇。瀬織津姫の眷属は蛇ですが、そこから大蛇の伝説が生まれたのでしょうか。

流石に佐原十郎義連が本当に大蛇を討ったとは思えない。では一体、大蛇とは何を意味するのか。

弘法大師・空海は天照大神と題して白蛇の絵を描いているそうですが、仏教徒から見ると神道の徒は蛇に称されるのではないでしょうか。

ダイヤモンド富士は蛇眼を光らせてトグロを巻いている大蛇。つまり山は蛇。

そして川は山から這い出る蛇とされる。そして水もまた蛇。

その山深き沼沢湖の湖水で祓い清めを行う水の女、祓いの女である沼御前。それもまた蛇。

祓い清めの為に人々の衣類を脱がせる。その衣類を意味するのは6メートル有るとされる沼御前の髪の毛。

「穢れ」は「毛刈れ」。衣類を脱がせる行為は毛刈り。6メートルの髪の毛は毛刈り。つまり穢れを意味する。

それは仏教により奪衣婆に落とされた瀬織津姫の名でも分かる。

「瀬織」。沼御前もまた沼沢湖の織姫。瀬の織姫、沼の織姫も水の織姫には変わらない。同じ存在。

その沼御前が鎌倉時代に佐原十郎義連によって討たれた。これは鎌倉幕府に従わない水の女達を殺した伝承。仏教に殺された人間・瀬織津姫の伝承なのではないのか。

自分達の殺戮を正当化する為に大蛇討伐物語としてでっち上げた。だからこぞ罪悪感がある。祟りを恐れた。故に沼御前神社を建立し、祟りを防いでいると私は考えます。

っとは言っても人間・瀬織津姫は全滅はしなかった。隠れて祓い清めが沼沢湖で続けられていた。

弘安の時代、おなつと言う少女が沼沢湖で泳いでいて消えた。捜索したが見つからなかった。山伏が三日三晩瀧に打たれて断食祈願を行い、おなつの居場所を言い当てる。見つかったおなつは、泣きながら「沼御前は昼に機を織り、夜には乙姫の様な美女の姿から大蛇に変化する」と語った。

正徳3年(1713年)、猟師が早朝に沼沢湖を訪れたら、髪の長さが6メートルもある若い美女が腰まで湖水に浸かりお歯黒を塗っていた。猟師は沼沢湖の主である大蛇と確信し、その美女の胸を銃で打ち抜き、美女は湖底へと沈んだ。その途端、雷鳴が轟き、湖水の波は荒れ、黒雲が立ち昇り、水煙が天に届くほど湖水が沸き立った。

この二つの伝承から鑑みて、沼沢湖の人間・瀬織津姫は1713年までは沼沢湖に存在したと思われます。

そして現在、どの神社でも大祓祝詞により瀬織津姫の神名で、祓い清めの儀式が行われている。

人間・瀬織津姫は消えたとは思いますが、その祓い清めは現代も続いている。

この沼沢湖は祓い清めの聖なる儀式と殺戮があった負なる霊場。沼御前神社は大蛇とされた人間・瀬織津姫達への供養の場。参拝していてその様に想いました。


ではでは。






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妖怪・沼御前のモデルは、瀬織津姫と考えて良いと思う。【沼沢湖・沼御前神社にて】その3

2020年01月15日 21時10分18秒 | 瀬織津姫
続きです。

それでは沼御前神社へ参拝。信じられない程の急な石段を登る。

この石段、老人は登れないのではないか。それどころか犬も登れるかどうかの角度がある。私も前かがみになって登る。足を滑らしたら、下まで滑り落ちそうだ。何でこんなにも急な設計にしたのだろうか。

石段を登り終えた。正面、鳥居から80メートル程先に社がある。

暗い。木が鬱蒼と茂っているからか。午前3時前だが結構暗い。この暗さは「人間は来るな」の時間帯と言える。不味いかも知れん。

ここに来る前に、西会津の鳥追観音と大山祇神社に参拝した。それが不味かったのかも知れん。慄きながら丁重に参拝する。

この神社は長くは居られないタイプの神社であるのは間違いない。否、少なくても私の家系の者は拒まれるのかも。神を殺した家柄だし。

また石段に戻る。下を見る。怖くて降りられない。余りにも急過ぎる。これ、本当に危険だ。注意しなければ、簡単に滑り落ちて死んでしまうぞ。

否、注意しても降りられない。降りるのであれば地にはって、後ろ向きに脚から下りるしかない。それでも上手く降りれるかどうか。仕方ない、裏参道を探そう。

社に戻り、裏道を行く。結構遠回りして下道に着いた。怖かった。ここはよっぽどの霊場。私的には禁足地に近い感じを受ける。

何故、崖をよじ登る様な急な石段を造らねばならなかったのか。

それは社の正面に沼沢湖があるから。湖から一直線に石段を登り、社に行き着く様に設計されているのだろう。

つまり、沼沢湖の大蛇である沼御前が、湖と社に行き来し易い様に設計されている様に想われる。

沼沢湖と沼御前神社は対の関係。人間よりも大蛇である沼御前を考えて、神社が設計されているのだと想える。それは神を配慮した当然の考え。それで良いのだと思う。

沼御前神社建立に付いては、検索したが出てこなかった。祭神は沼御前だけの様です。

沼御前は最新の「ゲゲゲの鬼太郎」にも出て来ます。ウキペディアによると、髪の長さは6メートルの若い美女に化ける事ができる大蛇となっています。

伝承も幾つか残ってます。

鎌倉時代、時の領主・佐原十郎義連が沼沢湖の大蛇を退治する為に、12人、若しくは50~60人の兵を率いて船に乗り湖へ漕ぎ出した。

中心部で佐原らは大蛇を大声で罵る。そしたら雲ってきて雷鳴が轟き大入道が現れた。

佐原らは、この大入道を大蛇の化身と思い立ち向かうが、荒波の為に船が揺れ、湖の中に落ちる。湖畔で待機していた兵らは見ていただけで、どうする事も出来ず。

暫くしてもがき苦しむ大蛇が現れた。大蛇の頭には佐原が跨り刀を振るっている。大蛇の腹が引き裂き出て来た模様。残りの兵達も佐原に続けと刀を持って大蛇の腹から出て来た。

本来ならば大蛇の体内は猛毒に溢れていて佐原らも死ぬ筈だったが、佐原の兜に縫い付けられていて観音菩薩が毒から佐原達を守り、大蛇の腹から脱出出来た。

最後には大蛇の頭が佐原に切り落とされて見事に退治。その大蛇の頭は土の中に埋めた。

しかし、大蛇の怨念は凄まじく、何故か土の中から機を織る様な音が鳴り響いていた。

村人は祟りを恐れて、大蛇である沼御前を祀った沼御前神社を建立した。


続く。













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