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「祖父が逝去した」・・・これで残留日本人の問題は終わった・・・

2011-11-13 | 梅肉エキス
未だ、中国国内に残留日本人の方がいらっしゃる・・・

自分の出生の秘密を知ってからも、日本への想いを胸に閉じ込め・・・

中国国内において悩み、苦しみながら生活してられる方達が・・・


この夏、逝去された一人の残留日本人の方の記事が載っていたので転載してみます。


~以下、11月13日読売新聞朝刊より抜粋~

残留日本人 二つの「根」
中国総局長
加藤 隆則
 この夏、知り合いの中国人青年からメールが届いた。ぎこちない日本語だったが、大意は伝わった。
 「祖父が逝去した。私利を捨てて国家建設に尽くしたが一生苦しく、幸せには恵まれなかった。これで残留日本人の問題は終わった」
 文面には無念さがにじみ出ていた。

 「祖父」は中国東北地方出身の満州族。50歳を前にした30年前、死に際の父親から「戦前、生後間もないお前を日本人から預かった」と明かされた。6人の子を持つ祖父は生活に追われ、出生の秘密を封印した。だが10年前、自分を探している日本人がいるとの情報に接し、周囲に真相を語った。

 孫である青年は祖父の肉親捜しのために日本語を独習した。上海特派員だった私を訪ねてきたのは2007年の冬だった。私は祖父が年まで勤めた四川省山間部の工場の宿舎に行った。祖父は耳が遠くなっていたが、家族に囲まれ、「自分の根がどこにあるのか知りたい。自分はどこから来たのか、わだかまりは解けていない」と繰り返した。

 手がかりは旧日本軍の連絡員だった養父が言い置いた日本人の名前と出身県だけだった。私の記事が掲載された後、残留孤児の身元引受人を買って出ている日本人の尽力で有力情報がもたらされた。該当者は旧日本軍の軍人だった。

 私は青年に「軍人の可能性がある」としか伝えられなかった。中国人として生きてきた祖父にとり、同胞を殺した日本軍の軍人が実の親であることは受け入れ難い。本人に伝えるべきか否か、家族の苦悩は察するに余りある。青年は「非常に悲しい結果だ」と言い残し、連絡を絶った。

 あれから4年がたっていた。青年にお悔やみのメールを送ると、今度は中国語で返信があった。
 「肉親捜しは苦慮の末、最後はあきらめた。協力してくれた日本人に感謝したい。今、祖父の魂は古里に戻り、安息を得た」
 生硬な日本語に現れた情念は消え、平静な心境がつづられていた。日中の不幸な歴史を巡る痛恨と、故郷に葬ることができた安堵が、言語を替えて表現されていたのだった。

 祖父にあって以来、「自分の根はどこに?」と問う声は私の耳にずっと残っている。養父から「おまえは日本人の子だ」と告げられた彼、それを伝えなければならなかった養父の心中はいかばかりであったろう。

 中国人は古里に埋葬されることを「落葉帰根(葉は落ちて根に帰る)」といって重んじる。祖父は二つの根を持った。一つは大地にしっかりと張った根、もう一つは海を越えた地になお居場所を探し続けている。
 葉は落ちたとしても、根に刻まれた記憶は語り継がれるべきである。


今なお、苦しんでいる方達がいらっしゃる・・・

二度とこの様な傷跡を残さないよう我々は語り継いでゆかなければいけないと思います。
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