ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「零崎軋識の人間ノック」 西尾維新

2007-01-09 09:26:02 | 
誰にでも一度は、今とは違う人生をやってみたいと考えた事はあると思う。

不思議なことに、幸せであろうと、そうでなかろうと。また、現状に満ち足りていようと、不満だらけであろうと、違う人生への憧れは生じるようだ。

でも多分、いやきっと、その違う人生は、あまりに違いすぎて、ほとんどの場合不幸な転身なのだろうと思う。その悲観をカフカは、虫へ変身した作品で著わしたと思う。十代の頃読んだカフカの「変身」は、さっぱり理解できなかったが、最近ようやく分かった気がする。

実は年末年始の夜、昨年一番はまった西尾維新の「戯言シリーズ」を再読していた。当初は未読の本を読むつもりだったのだが、手に取ったのは「戯言シリーズ」だった。どうしても、もう一度読みたかったからだ。本編9冊、外伝2冊一気に読破した。

作品中、登場する殺し名「零崎」の存在理由が、イマイチ分からなかったのが再読の理由でもある。普通の人間が、ある日突然殺し屋に変身してしまう「零崎一賊」。殺すことに違和感を感じず、殺すことに理由を必要としないで、息を吸うように人を殺す。それでいて、血縁関係のない家族を作る謎の殺人者・零崎一賊(族)。突然変異の殺人者、零崎。何故に物語りに登場したのだろう?

おそらくは、「戯言シリーズ」の主人公いーちゃんの、転身した人生なのだな、零崎人識は。自称欠陥人間いーちゃんの、もう一つの姿が「人間失格」殺人者・零崎人識なのだろう。作中何度も語られながら、その存在理由がどうしても掴めなかったが、外伝を読んで納得した。

私にも転身願望はある。今とは違う自分、違う職業、違う家族、違う友人。そして違う身体。

でも決して実行することはないと思う。出来る、出来ないはともかく、転身してしまっても、きっと更に新たな転身願望を持つに決まっている。いかなる自分、いかなる人生であったとしても不満の種は尽きることがないはずだ。

いかに転身に憧れようと、転身した自分は決して十分幸せではないのだろう。だからこそ、今の自分の人生を大切にするべきなのだろう。今の自分に満足できるよう、前向きな努力を積み重ねるべきなのだろう。

分かっていても、それでも今の自分でない自分に憧れる。矛盾の塊だな、私は。
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