嫉妬という感情は浮「と思う。
私が長期の療養生活を送った80年代後半は、バブルの最盛期であり、昭和元禄とでもいえる華やかな時代だった。不動産市場と株式市場に金がなだれ込み、あぶく銭が巷に溢れ、身分不相応な人生があだ花を咲かせた時代でもあった。
決してエリートとは言わないが、それでも私は新人一年目にしては異例の好成績を挙げていた。本社の営業担当重役から直々に声を掛けられ「来年は俺の元で鍛えてやる」を励みに仕事に埋没し、気が付いたら身体を壊して退職を余儀なくされた。そんな私にはバルブの華やかさは、落ちこぼれ、見捨てられた我が身を照らす残酷な輝きでもあった。
自惚れだとは思うが、仕事を人並み以上にこなす才幹には、いささか自信はあった。それだけに、満足に身体を動かすことさえ出来なくなった自分を惨めに思う気持ちは、非常に強かった。鏡に写った自分の姿を見るのさえ嫌な自己嫌悪。憎しみの域にまで達した劣等感は、吐き気さえ催すほどの苦痛だった。
私は自分をそれほど嫉妬深い性格だとは思わない。思わないが、それだけに当時の自分を持て余した。まさか、これほどまでに嫉妬が沸き起こるとは思いもしなかったからだ。
バブルの時代は、たいした仕事をしていない連中までもが高収入を得て、華やかな生活を満喫していた。どうみても、私よりも仕事が出来るとは思えない連中までもがだ。
自然と沸き起こる嫉妬の感情に戸惑い、見知らぬ自分に戸惑い、感情の抑制が難しいことに戸惑った。かくも嫉妬深い自分に気が付き、更に自己嫌悪の深みに落ち込む。
そんな当時の自分にとって、一服の清涼剤であったのが表題の作品だ。田舎の長閑な暮らしと、そこで働く人々と動物たち。その動物たちを相手に奮闘する獣医師ヘリオット先生の、日々目まぐるしくも、穏やかで健やかな人生。
嫉妬ではなく、素直に憧れることが出来たヘリオット先生の生き方。嫉妬と自虐と自己嫌悪に汚濁された私の心を、穏やかに健やかに暖かく洗い流してくれたのが、ヘリオット先生の本でした。改めて、良い本との出会いに、私は救われていると思います。
私が長期の療養生活を送った80年代後半は、バブルの最盛期であり、昭和元禄とでもいえる華やかな時代だった。不動産市場と株式市場に金がなだれ込み、あぶく銭が巷に溢れ、身分不相応な人生があだ花を咲かせた時代でもあった。
決してエリートとは言わないが、それでも私は新人一年目にしては異例の好成績を挙げていた。本社の営業担当重役から直々に声を掛けられ「来年は俺の元で鍛えてやる」を励みに仕事に埋没し、気が付いたら身体を壊して退職を余儀なくされた。そんな私にはバルブの華やかさは、落ちこぼれ、見捨てられた我が身を照らす残酷な輝きでもあった。
自惚れだとは思うが、仕事を人並み以上にこなす才幹には、いささか自信はあった。それだけに、満足に身体を動かすことさえ出来なくなった自分を惨めに思う気持ちは、非常に強かった。鏡に写った自分の姿を見るのさえ嫌な自己嫌悪。憎しみの域にまで達した劣等感は、吐き気さえ催すほどの苦痛だった。
私は自分をそれほど嫉妬深い性格だとは思わない。思わないが、それだけに当時の自分を持て余した。まさか、これほどまでに嫉妬が沸き起こるとは思いもしなかったからだ。
バブルの時代は、たいした仕事をしていない連中までもが高収入を得て、華やかな生活を満喫していた。どうみても、私よりも仕事が出来るとは思えない連中までもがだ。
自然と沸き起こる嫉妬の感情に戸惑い、見知らぬ自分に戸惑い、感情の抑制が難しいことに戸惑った。かくも嫉妬深い自分に気が付き、更に自己嫌悪の深みに落ち込む。
そんな当時の自分にとって、一服の清涼剤であったのが表題の作品だ。田舎の長閑な暮らしと、そこで働く人々と動物たち。その動物たちを相手に奮闘する獣医師ヘリオット先生の、日々目まぐるしくも、穏やかで健やかな人生。
嫉妬ではなく、素直に憧れることが出来たヘリオット先生の生き方。嫉妬と自虐と自己嫌悪に汚濁された私の心を、穏やかに健やかに暖かく洗い流してくれたのが、ヘリオット先生の本でした。改めて、良い本との出会いに、私は救われていると思います。