当たり前のことだが、日本は法治国家だ。
誰もが積極的には払いたくない税金だって、法律に基づいて計算され、納付される。これを租税法律主義と言う。
つまり税法に基づいて申告納税するわけだが、その税法の読み方に問題がある。別に税法に限らないが、法律で全ての行為を捕捉することは難しい。商業取引にせよ、民事上の取引にせよ、細かいところまで、法律で規定することは、事実上不可能であるからだ。
そこで当然に、法令解釈の余地が出てくる。もちろん、積み重ねられた司法判断も無視できない。法令以外にも、税務の世界では通達の存在が微妙な影を落とす。通達は法律ではなく、上級行政職から、下級行政職への法令の解釈指針に過ぎない。しかし、その下級行政職には、行政裁量権があるがゆえに、通達は法令同様の拘束力を持つ。
法令に従い、通達を読み、判例等にも目を配り、適切な解釈をした上で、課税所得を計算し申告納税に望むのが、当然のこととなる。一見、完璧な仕組みに思えるが、実務の世界にいる私どもには、到底完璧とは言えない綻びが目に入ることがある。
税理士として、今年で14年目に入るが、今でも判断に困る仕事がいくつかある。
一つは、複雑多様化し急速に変化する社会情勢に、税法や通達が追いついていないケースだ。例を挙げれば「営業権 のれん」の問題がある。M&Aが急増しているが、税務ではいまだに十分な評価の仕組みが出来ているとは言い難い。昨年、ようやく整理されてきたが、まだまだ問題が多い。私個人としては、あまり関わりたくない問題だ。
もう一つは、見かけ上適法な節税プランニングという奴だ。一応、税法の規定に従っているし、通達や判例上にも明白な問題点はない。しかし、明らかに税法の趣獅ゥら逸脱していると思えるが故に、容易に容認できない。
一昨年になるが、この一見適法節税プランニングの一つに厳しい司法判断が下された。クック諸島を舞台に銀行を介在して仕組まれた「外国税額控除」を巡る裁判だった。結論から言うと、裁判所は税法の趣旨に逸脱しているとして、原告(納税者)敗訴の判断を下した。以前、私が調べた際、その仕組みは、一応税法に適したものだと判断できたものだった。適法であったが、税法の隙間を縫う性格が強いことは、私にも理解出来た。しかし、それを違法だとする根拠を、私は見出せなかった。
形式的には適法であるものを、税法解釈の濫用であり、趣獅ノ反するとして、課税することが、租税法律主義の観点からして、果たして相応しいものなのか?
正直、私はかなり迷っています。実は昨年、ある消費税の仕組みを利用した節税プランニングをクライアントから提示されたのを拒否して、顧問契約を解除されたことがあります。その仕組みは適法に思えたし、違法だとする明確な根拠もなかった。しかし、明らかに不自然な行為だと思えた。申告は出来ても、その後の税務調査に耐えうるものか疑問だったし、税務訴訟へ移行した場合に、勝てる見込みが微妙な印象が強かった。だから拒否したのです。
上記の最高裁判決(平成17年12月19日)の印象が強かったせいなのも事実です。適法なら、何をしてもいいのか?との疑問も当然にあります。しかしその一方、司法の濫用の感も否めない。
今年もまた確定申告の時期が近づいてまいりました。きっと又、私を悩ます微妙な問題が持ち込まれるのだろうと予想しています。いくら勉強しても、いくら経験を積んでも、悩みは尽きることはないようです。
誰もが積極的には払いたくない税金だって、法律に基づいて計算され、納付される。これを租税法律主義と言う。
つまり税法に基づいて申告納税するわけだが、その税法の読み方に問題がある。別に税法に限らないが、法律で全ての行為を捕捉することは難しい。商業取引にせよ、民事上の取引にせよ、細かいところまで、法律で規定することは、事実上不可能であるからだ。
そこで当然に、法令解釈の余地が出てくる。もちろん、積み重ねられた司法判断も無視できない。法令以外にも、税務の世界では通達の存在が微妙な影を落とす。通達は法律ではなく、上級行政職から、下級行政職への法令の解釈指針に過ぎない。しかし、その下級行政職には、行政裁量権があるがゆえに、通達は法令同様の拘束力を持つ。
法令に従い、通達を読み、判例等にも目を配り、適切な解釈をした上で、課税所得を計算し申告納税に望むのが、当然のこととなる。一見、完璧な仕組みに思えるが、実務の世界にいる私どもには、到底完璧とは言えない綻びが目に入ることがある。
税理士として、今年で14年目に入るが、今でも判断に困る仕事がいくつかある。
一つは、複雑多様化し急速に変化する社会情勢に、税法や通達が追いついていないケースだ。例を挙げれば「営業権 のれん」の問題がある。M&Aが急増しているが、税務ではいまだに十分な評価の仕組みが出来ているとは言い難い。昨年、ようやく整理されてきたが、まだまだ問題が多い。私個人としては、あまり関わりたくない問題だ。
もう一つは、見かけ上適法な節税プランニングという奴だ。一応、税法の規定に従っているし、通達や判例上にも明白な問題点はない。しかし、明らかに税法の趣獅ゥら逸脱していると思えるが故に、容易に容認できない。
一昨年になるが、この一見適法節税プランニングの一つに厳しい司法判断が下された。クック諸島を舞台に銀行を介在して仕組まれた「外国税額控除」を巡る裁判だった。結論から言うと、裁判所は税法の趣旨に逸脱しているとして、原告(納税者)敗訴の判断を下した。以前、私が調べた際、その仕組みは、一応税法に適したものだと判断できたものだった。適法であったが、税法の隙間を縫う性格が強いことは、私にも理解出来た。しかし、それを違法だとする根拠を、私は見出せなかった。
形式的には適法であるものを、税法解釈の濫用であり、趣獅ノ反するとして、課税することが、租税法律主義の観点からして、果たして相応しいものなのか?
正直、私はかなり迷っています。実は昨年、ある消費税の仕組みを利用した節税プランニングをクライアントから提示されたのを拒否して、顧問契約を解除されたことがあります。その仕組みは適法に思えたし、違法だとする明確な根拠もなかった。しかし、明らかに不自然な行為だと思えた。申告は出来ても、その後の税務調査に耐えうるものか疑問だったし、税務訴訟へ移行した場合に、勝てる見込みが微妙な印象が強かった。だから拒否したのです。
上記の最高裁判決(平成17年12月19日)の印象が強かったせいなのも事実です。適法なら、何をしてもいいのか?との疑問も当然にあります。しかしその一方、司法の濫用の感も否めない。
今年もまた確定申告の時期が近づいてまいりました。きっと又、私を悩ます微妙な問題が持ち込まれるのだろうと予想しています。いくら勉強しても、いくら経験を積んでも、悩みは尽きることはないようです。