ヌマンタの書斎

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「遊牧民から見た世界史」 杉山正明

2007-01-19 15:29:10 | 
もしも、明日地球に生息する人間という生物が絶滅したならば・・・その後、この銀河の辺境に位置する太陽系に、遥かに進んだ技術を持つ異星人が訪れたなら、何を思うのだろう。

異星人はタイムマシンで、過去に遡航して、この星の歴史を探索するかもしれない。そして、人間と自称する知的生命体が存在していたことを知る。

人間という生物の歴史を調べた異星人が、この人間の中心的生息域をどこに定めるだろう?大胆に予測するなら、それはロンドンでもローマでもなく、またニューヨークでもないと思う。18世紀以降なら欧米で構わない。しかし、人類の歴史の大半ならば、それは現在の中近東から小アジアの地域を、人類の中心的生息域と考えるのではないだろうか。

日本の歴史教科書で歴史を学んだ人には意外、あるいは心外かもしれない。でも、間違いなくヨーロッパや北米ではないと思う。地中海東地域なら、まだ分かる。少なくともローマ帝国には、人類の中心的政治機構としての資格は、あったと思うから。

でも、やはり中心はイスタンブールからバクダットにかけてのオリエントと呼ばれた地域だと思う。人類の都市文明は、この地で花開いた。鉄器、車輪、明文化された法律、官僚機構、そして馬具は、おおむねこの地域で発明され、人類の生活に貢献した。馬具に違和感を持つ人は多いと思う。しかし、これは極めて重要な発明だった。

現代の文明は、18世紀ユーラシア大陸の西の辺境の地で起こった産業革命を基盤とした西欧文明が中心であることは間違いがない。しかし、17世紀以前はオリエントから中央アジアにかけて栄えた文明こそが、人類の中心的存在であったと思う。

現代の感覚からすると、農耕民族を中心に考え勝ちだが、17世紀以前は騎馬民族こそ人類の主導的存在であった。馬具の発達により、交通機関として、兵器として、騎馬を活用した民族が、農耕民族を征服し、支配していたのがユーラシアの普遍的なありようだった。支配者として都市に定着した騎馬民族は、やがて高度な文化を花開かすが、活力を失い、新たな騎馬民族の侵略を受け滅びの道を辿る。

現在の歴史教科書は、どうしても史跡が残る都市文明を中心に考え勝ちとなる。そのため各地域を結ぶネットワークがお座なりになる。そのネットワークを構築していたのが、騎馬であった。それゆえ、騎馬をいかに活用するかが、その文明の発展の鍵となっていた。ペルシャやトルコは、そのあたりの制度作り、活用に極めて長けた国であったが故に、長くオリエントの地を支配できた。

この状況を一変させたのが、18世紀以降急速に進展したヨーロッパ文明だ。その原動力は火力の活用による生産力の飛躍的増大。単純に言えば、鉄砲という兵器を大量に生産できたが故に、軍事力が向上して、かつての優位的地位にあったアラブ、ペルシャ、トルコを踏みしだくことが出来た。

現代の文明が、都市と農耕民族が基盤であることは事実だと思う。だからといって、人類の歴史において、数千年にわたり中心的存在であった騎馬民族を蔑ろにする、現在の歴史教科書はおかしいと思う。近年、ようやく学会でも歴史の見直しが始まりつつあるようです。その先駆け的存在の一つが、表題の本です。
コメント (6)
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