ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「帯をギュっとね」 河合克敏

2007-01-15 13:41:13 | 
一人旅は珍しくないが、不思議と一人で山に登ったことはない。

元々、カブスカウトから始まった登山だが、その頃は山登りの意識は薄かった。素行の悪かった私を心配した親にやらされていた感が強かったからだ。実際、夜の街をうろついていた中学生の頃には、ほとんど登山はやらなかった。

堅気になると決め、夜の街から遠ざかったことと、視力の低下で球技が下手になったことが、再び山を登り始めた原因だった。でも一人で登るほど、山が好きだったわけではない。

「そこに山があるから」と言った高名な登山家がいたが、私の場合は「一緒に登る仲間がいたから」が、山に登る理由であったと思う。

ただ単に人恋しかったわけではない。たしかに一緒に登れば、同じ景色を観て感動を共有できる。一人で楽しむより、喜びが拡がる楽しみは確かにある。でも、それだけではない。

自然は時として過酷でもある。体温を奪う強風に脅かされ、冷たい雨が心まで冷え込ます。生きていくための荷物が背中にずっしりと重く、暗い曇り空が気持ちを萎えさす。体力も必要だが、それ以上に生きていく意志が重要となる。山は人が生きるための努力なくして、生きることを許してくれない。

何度、惨めな思いをしたことだろう。肩に食い込む重いザックにへばり、弱音を吐き、俯いて心を閉ざす。身体よりも心が先にバテていた新人の頃。しかし、ふと気づくとそんな苦しい時でも、笑顔を振りまき、率先して雑用をこなし、暖かいお茶を沸かして、皆の心と身体を温めてくれた仲間がいた。

憧れた、そして自分の不甲斐なさを思い、これではいけないと考えた。自分が苦しい時は、実はみんなも苦しい。そんな苦しい時に笑顔を振りまける仲間に、自分もなりたかった。思いつつも、なかなか実践することは出来なかったが、目標があることは良いことだと思う。自分の至らなさを知ってこそ、向上の余地がある。私にとって、山は学びの場であり、修練の場でもあった。一人では分からないし、出来やしない。だからこそ、一人で山を登ることはしなかった。仲間あっての山だった。

表題の漫画は、週刊少年サンデーに長く連載されていた柔道マンガです。せっかく中学で黒帯をとったのに、進学した高校には柔道部がなかった。そこで自分達で柔道部を作ってしまった若者達を描いた作品です。柔道という個人競技ではあるものの、仲間と競い合うことにより自らを高め、遂には日本一を目指してしまう、その青臭いまでの若々しさは、決して不快ではなく、むしろ羨ましいほどの輝きでした。

柔道マンガにしては、異例とも言える繊細な絵柄と、高校生たちの日常を楽しく、爽快に、時には厳しく描いた好作品だと思います。最近の若者は、クラブ活動に消極的と聞いていますが、十代の頃のクラブ活動は、或る意味勉学よりもはるかに役に立つ経験だったと考えています。自分の世界に閉じこもっては、決して分からないことって確かにあるものです。TVや雑誌、インターネットなど外部から与えられる情報では得られない、自ら経験して学ぶ情報の重要性を大切にしてほしいものです。
コメント (2)
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