ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「誇り~D・ストイコビッチの軌跡」 木村元彦

2007-01-18 14:41:12 | 
Jリーグが始まるまで、日本においてはサッカーというスポーツは、本当にマイナーな競技だった。

マイナーなだけなら良い。アマレスのように、世界のトップレベルに近い水準の分野もあったからだ。しかし、サッカーは違った。おそろしくレベルが低かった。本当に低レベルだった。当時の国際親善試合たるや、呆れるくらいに弱かった。観るのが苦痛だった。

81年頃だと思うが、日本代表チームと、ブラジル・フラメンゴの親善試合を観たことがある。ひどい試合だった。フラメンゴはGKとDFが二人自陣内で雑談していて、ゲームの大半は日本陣内で行われていた。ブラジルの選手の華麗な足裁きに見とれていたのは、他でもない対戦相手の日本代表の選手たちだった。試合になっていなかった。あまりに不甲斐なさに、なぜかフラメンゴのジーコが怒っていた。

試合後のインタビューは荒れた。ジーコは通訳を呼び寄せ、激しい口調で何かを訴えていた。遠方から覗いていた私には、なにが起こっているかさっぱり分からなかった。後日、サッカーマガジン誌に、その顛末が載っていた。ジーコは通訳に対し、俺の発言を正しく話せと命じ、通訳が困っていたらしい。

当時、日本のサッカーのあまりのレベルの低さに、インタビューで「こんなのサッカーじゃない」とか「時間の無駄だった」といった外人選手の過激な発言を、通訳が「日本のサッカーには向上が必要だ」といった風に穏便な言葉に意訳(異訳だと思うがね)することが、しばしばあったからだ。

これは通訳の独断というより、スポンサー(日本の大企業)に配慮した通訳の気遣いであったようだが、なぜかジーコはそのことを知っていたようだった。負けず嫌いのジーコは、ふざけた試合も嫌いだったようで、「日本のサッカーの問題点は、テクニックでも体力でもない。負けることを恥じない精神面にある!」と力説していたようだ。

この話を聞いたトヨタが、ジーコに監督依頼をしたと聞き、私は是非とも!と切望したが、現役であることに拘ったジーコに断られ、ひどく失望したものだった。その後、Jリーグが始まると、ジーコは選手として来日して、日本のプロサッカーの向上に貢献したことは、すでにご存知の通りだ。

ただ、既に40近かったジーコは選手としては、全盛期に遠く及ばないコンディションであったが、これは致し方ない。それでも、私個人としては、凄く嬉しかった。

一方、選手としての全盛期をJリーグで過ごしてくれたのが、ドラガン・ストイコビッチ通称ピクシーだ。世界の超一流選手のプレーが、どれほど日本のサッカーの発展に貢献したか。生で見る世界水準のプレーは、観戦したサッカー少年達の胸に刻まれたと思う。

正直言ってピクシーは、本来日本のJリーグのようなローカルリーグでプレーする選手ではないと思う。イタリアでもスペインでもドイツでも、世界のトップ・クラブでプレーする資格があったと思う。それでも、それを承知の上で、ピクシーは日本でのプレーを自ら望んでしてくれた。ありがたいことだと思う。

もちろん、ピクシーには、祖国ユーゴスラビアの分裂と、国際社会からの制裁と迫害といった事情もあっただろうが、彼自身が日本を気に入り、厳しい状況を耐えて、日本で選手生活を終えて帰国した。このあたりの事情は、表題の本に詳しい。

偶然だが、かつてジーコを監督として招聘できなかったトヨタ(現グランパス)が、ピクシーを選手として獲得できたことも、なにか運命的なものを感じる。最近のJリーグは、長期の景気低迷を受けて、世界のトップ・クラスの外国人選手の招聘をしていない。一方、原油高騰を背景に、カタールやサウジは、有名選手の自国リーグへの招聘を実現してる。そのせいか、Jリーグのチームは最近、アラブのクラブチームに負け続けている。

オシム・ジャパンに期待するむきには申し訳ないが、そろそろ日本のサッカーは後退とは言わないまでも、停滞期に入っている気がする。本当に景気回復しているのなら、Jリーグを支援する各スャ塔Tー企業には、一丁大盤振る舞いを期待してみたい。

ホント、そろそろ危機感を持った方が良いと思うゾ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする