いつからだろう、夢という言葉がこれほど明るいイメージを持つようになったのは。
私にとって、夢という言葉には、あまりプラスのイメージはない。現実と対峙する概念であり、間違っても憧れたことなんぞない。
夢が嫌いなわけではない。暖かい布団のなかで見る夢は、いつも曖昧で意味不明で、時折私を驚かせる。夢はいつだって、意味不明で論理的整合性に乏しく、必然性が感じられない。それでも、まどろみのなかで見る夢は、時に私を慰め、時に励まし、そしてしばしば困惑させる。夢なんて、そんなものだと思うし、それで十分だ。
税理士試験に合格した時、「夢を実現したね」と言われて戸惑った。夢なんて意識はなかった。実現可能な目標を達成したと考えていただけだ。実現出来ない、非現実的目標こそ「夢」だと考えているからだが、どうも私の考えは最近主流ではないらしい。
正月早々、次兄が妹を殺してバラバラにするといった陰惨な事件が、随分と報道されている。どうも「夢がない」と妹になじられたことが次兄が逆上した発端であるようだが、そんなに夢って有り難いものなのか。私に言わせれば、夢なんざ余裕のある奴の見るもので、本当に必死で生きている奴は、夢なんざ見る暇ない。今を生きるのに必死な奴は、現実逃避に逃げてる暇はない。
私が嫌いな言葉に「夢は必ず叶う」という奴がある。叶わないから夢だろう?どんなに願ったところで、叶わないからこそ夢だと思う。
努力して実現できることなら、それは夢なんて甘い言葉をつけるのではなく、目標とか目的といった現実的な言葉で表現したほうが良いと思う。冷静に自分自身の能力を分析して把握し、実現可能な目標を定め、それを実現するための具体的手段をとる。ただ、それだけのこと。
夢なんて言葉は、むしろ厳しい現実から目を背け、辛い現実的作業から逃避して、空想という名のお酒に酔いしれることを助長するだけな気がする。
子供が夢を見ることは大事だと思うが、大人なら現実を直視して、なにをすべきか考え、それを実現する努力をするべきだ。
実を言えば、私は夢をみるのが好きだ。空想の世界に意識を飛ばし、想像の海に乗り出して、心を和ませる。夢はいつだって、私を過酷な現実から逃避させてくれる。
だからこそ、普段は夢から離れて、現実を見据え、具体的行動で結果を出す。夢は夢のままでいい。
私にとって、夢という言葉には、あまりプラスのイメージはない。現実と対峙する概念であり、間違っても憧れたことなんぞない。
夢が嫌いなわけではない。暖かい布団のなかで見る夢は、いつも曖昧で意味不明で、時折私を驚かせる。夢はいつだって、意味不明で論理的整合性に乏しく、必然性が感じられない。それでも、まどろみのなかで見る夢は、時に私を慰め、時に励まし、そしてしばしば困惑させる。夢なんて、そんなものだと思うし、それで十分だ。
税理士試験に合格した時、「夢を実現したね」と言われて戸惑った。夢なんて意識はなかった。実現可能な目標を達成したと考えていただけだ。実現出来ない、非現実的目標こそ「夢」だと考えているからだが、どうも私の考えは最近主流ではないらしい。
正月早々、次兄が妹を殺してバラバラにするといった陰惨な事件が、随分と報道されている。どうも「夢がない」と妹になじられたことが次兄が逆上した発端であるようだが、そんなに夢って有り難いものなのか。私に言わせれば、夢なんざ余裕のある奴の見るもので、本当に必死で生きている奴は、夢なんざ見る暇ない。今を生きるのに必死な奴は、現実逃避に逃げてる暇はない。
私が嫌いな言葉に「夢は必ず叶う」という奴がある。叶わないから夢だろう?どんなに願ったところで、叶わないからこそ夢だと思う。
努力して実現できることなら、それは夢なんて甘い言葉をつけるのではなく、目標とか目的といった現実的な言葉で表現したほうが良いと思う。冷静に自分自身の能力を分析して把握し、実現可能な目標を定め、それを実現するための具体的手段をとる。ただ、それだけのこと。
夢なんて言葉は、むしろ厳しい現実から目を背け、辛い現実的作業から逃避して、空想という名のお酒に酔いしれることを助長するだけな気がする。
子供が夢を見ることは大事だと思うが、大人なら現実を直視して、なにをすべきか考え、それを実現する努力をするべきだ。
実を言えば、私は夢をみるのが好きだ。空想の世界に意識を飛ばし、想像の海に乗り出して、心を和ませる。夢はいつだって、私を過酷な現実から逃避させてくれる。
だからこそ、普段は夢から離れて、現実を見据え、具体的行動で結果を出す。夢は夢のままでいい。