ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「夜間飛行」 サン・テグジュベリ

2008-04-28 09:46:30 | 
少し旧聞になるが、ある老齢のドイツ人が戦時中にサン・テグジュベリの飛行機を撃ち、墜落させたことを告白したそうだ。

それが事実かどうかの判断は、専門家に任せるが、当時の厳しい世情を思えば、おそらくは事実であろうことは、容易に推測できる。やはり・・・というか、そのドイツ人はサン・テグジュベリのファンでもあったとも述べていた。

嘘ではあるまい。パイロットなら、そしてサン・テグジュベリの本を読んだことがあるのなら、敬意と羨望から逃れることは出来まい。飛行機の操縦などしたことのない私でも、夜の暗闇のなかで飛行を続け、数々の偉業を成し遂げた彼の偉大さは分るのだから。

当時の飛行機操縦は、目で見て飛ぶ視認飛行だ。昼間はともかく、夜間はレーダーに頼って飛ぶのでなく、月の輝きと星の瞬きに目を凝らしながら、空を飛ぶ。暗闇になお暗い闇から、山稜を見出して回避し、単調な海上を眠気と戦いながら、ひたすら飛び続ける。星明りのある晩だけとは限るまい。曇り空や風雨の夜も飛んだのだろう。

同じパイロットなら、その偉業に敬意を持つのは当然のことだ。その偉人を撃ち落してしまったことは、戦時でなら大いに宣伝すべきことにも関らず、そのドイツ人は沈黙を守った。今日までの沈黙こそが、そのドイツ人の苦悩を物語る。

私が夜の暗闇の怖さを知ったのは、まだ十代はじめのことだ。いつもパーティを組んで山に登る私だが、その時は虫取りのため奥多摩の山小屋に一人泊まり、暗闇の中をヘッドライトを灯しながら山中を駆け巡った。

深夜3時に一人小屋を出て、雑木林のなかをクヌギや楢の木をめぐり、カブトムシやクワガタの採取に夢中だった。そんな時に、木の根っ子に足を取られて、転んでしまった。その際、ヘッドライトを壊してしまった。

さすがに慌てた。予備は山小屋のザックのなかだし、夜明けには2時間はかかる。うっそうとした森の中は、月の光も届かず、星明りも頼りない。おまけに山中の斜面なので、下手に動き回れば転倒や転落は十分ありえる。

その場に座り込んで、暗闇に目を慣らすため目を閉じて黙想。静かだと思っていた夜の山は、意外にも様々な音が飛び交う。フクロウの声、虫の鳴き声、カサカサと微かな音を残す小動物。

目を閉じたままでいると、微かな気配までが感じ取れる。・・・何かが居る。音はしないが、何かが私を見ている。静かな恐怖が、じわじわと心を侵食する。何故か膝が震えた。

そっと目を開けると、思ったより暗闇は濃くはない。ただ、動けるほどの明るさはない。動かなければ大丈夫なはずだ。仕方なく腹を決めて、その場に寝転ぶ。さっきの気配が気になるが、ポケットナイフを握り締めて、その堅さに安心感を覚える。

空を見上げると、木々の梢の隙間から星空が覗ける。思ったよりは空は明るい。ほんの小さな隙間だったが、私の心に平静をもたらすには十分だった。

そのままこ一時間、横たわって時間を過ごす。空が明るくなってきたのを見計らって、再び虫取りを再開。すぐに夢中になり、暗闇の恐怖を忘れる。戦果をナップザックに詰め込んで、山小屋に戻る。さすがに疲れて一休み。以来、夜の山中に一人で行くことはやらなくなった。危険すぎる。

明け方が近い時間の暗闇だったからこそ、私は耐えられたと思う。光のない暗闇は、なにもなくても恐浮トび込む。そんな夜の空を飛ぶ夜間飛行は、勇気を必要とする行為なのだろう。それが分った夜の虫取りだった。
コメント (2)
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