現在の日本の抱える大きな問題の一つが、増大する一方の高齢者医療費だ。
年をとれば病気になりやすい。必然でもあり、自然でもある。しかし、日本の高齢者は、少し病院に行き過ぎだと思う。たいしたことがなくとも病院に足を運び、薬の処方を求める。医者は仕方なく、たいして効力もない薬を出さざる得ない。
そのため、どこの病院、診療所でも待合室は、老人の談話室と化していると報じられて既に数十年。未だその状況は、なかなかに改善されない。そのため、緊急性の高い患者が後回しにされることも珍しくない。
諸外国と比べても、日本の高齢者は医者にかかり過ぎだと思う。その原因の一つは、高齢者に手厚い医療保険制度であり、この制度ゆえに病院の診療報酬が確保され、医院の経営を支えている実情がある。
心ある医師は、治療が必要がない高齢者の医療に時間をとられることを悩みつつ、頼られることを拒否できずにいる。経済的にも、大きな収入の柱である事実が、ますます拒否できなくさせる。
医療が安いことは、道徳的には素晴らしいことだが、安易な医者頼りを増加させる弊害がある。先進国でも稀有な薬漬け医療は、製薬会社の懐を潤している事実も見逃せない。
結果として国民健康保険は大赤字だ。一応書いておくと、若い加入者の多い民間会社等の社会保険基金での健保会計は黒字であることも珍しくない。
働き盛りの若い世代と中高年の支払う健康保険料で支えられている国民健康保険は、少子高齢化を迎え事実上破綻状態に陥っている。この事実は直視すべきだ。
現在、盛んに問題となっている後期高齢者(なんだ、この日本語は?)の公的年金からの保険料の天引き制度だが、そんなに悪い制度とは思えない。
収入が少ない高齢者虐めだと批難が相次いでいるが、本当にそうか?保険料が増えたといっても、それほど高額ではない。扶養からはずされた人には高く感じるだろうが、同じ収入の若い人が負担する保険料よりは少ない。
天引きされようと、自分で納めにいこうと、収入から払う事実に変わりないのだから、年金からの天引きはそれほど悪い制度とは思えない。このあたり冷静に捉えて欲しいものだ。
ただね、厚生労働省はあまりに説明不足。根回し不足だろう。最近の法改正は、この手のものが多い。内々で改正を決めて、それをそっと国会を通過させ、さあ決まったことだから従え!
これじゃあ反発を買うのも当然だ。おまけに現場との打合せもせずに改正を決めているから、現場が混乱することは必然だと思う。ニュースで地方の役所の方からも説明不足だと批難されているのは無様としか言い様がない。
最近の霞ヶ関は、この手の無雑作すぎる法改正を頻発する。どうも現場の知識経験のないエリートが、書類の上で完璧な改正案を作って、それを放り出して満足している気がする。日経がアリバイ的法改正と揶揄していたが、まさにその通り。
この状況を改善するには二つ、必要なことがある。一つは官官接待を含め、民間との飲食接待を復活させることだ。意外に思う方も多いと思うが、明るい会議室で話し合うのと、酒を伴にしつつ談笑しながら話し合うのでは、本音の出方が違う。日本人は正面きっての意見の対立を厭う。だから会議室では本音が出ないのが現実だ。これは民間企業でも同じだよ。
もう一つは、日露戦争以降の弊害。エリート官僚の政策実施の結果責任を不問とする慣習を改めることだ。日露戦争における日本の失敗は数多い。しかし、勝ったことでそれを不問にしたことが、いつのまにやら慣行化して、特権化してしまっている。そのため、稚拙な法改正による失態の責任を問わない伝統が育ってしまった。
失敗を認めないのだから、責任はなく、反省も必要ない。これが日本のエリートを著しく増長させ、駄目なエリートを蔓延させてしまった。
大規模福祉社会であるがゆえに、厚生労働省の失態が目立つが、これは他の官庁でも同じ事。自民だろうが民主だろうが、霞ヶ関を改めないと、同じ失政は何度も繰り返されると思います。
年をとれば病気になりやすい。必然でもあり、自然でもある。しかし、日本の高齢者は、少し病院に行き過ぎだと思う。たいしたことがなくとも病院に足を運び、薬の処方を求める。医者は仕方なく、たいして効力もない薬を出さざる得ない。
そのため、どこの病院、診療所でも待合室は、老人の談話室と化していると報じられて既に数十年。未だその状況は、なかなかに改善されない。そのため、緊急性の高い患者が後回しにされることも珍しくない。
諸外国と比べても、日本の高齢者は医者にかかり過ぎだと思う。その原因の一つは、高齢者に手厚い医療保険制度であり、この制度ゆえに病院の診療報酬が確保され、医院の経営を支えている実情がある。
心ある医師は、治療が必要がない高齢者の医療に時間をとられることを悩みつつ、頼られることを拒否できずにいる。経済的にも、大きな収入の柱である事実が、ますます拒否できなくさせる。
医療が安いことは、道徳的には素晴らしいことだが、安易な医者頼りを増加させる弊害がある。先進国でも稀有な薬漬け医療は、製薬会社の懐を潤している事実も見逃せない。
結果として国民健康保険は大赤字だ。一応書いておくと、若い加入者の多い民間会社等の社会保険基金での健保会計は黒字であることも珍しくない。
働き盛りの若い世代と中高年の支払う健康保険料で支えられている国民健康保険は、少子高齢化を迎え事実上破綻状態に陥っている。この事実は直視すべきだ。
現在、盛んに問題となっている後期高齢者(なんだ、この日本語は?)の公的年金からの保険料の天引き制度だが、そんなに悪い制度とは思えない。
収入が少ない高齢者虐めだと批難が相次いでいるが、本当にそうか?保険料が増えたといっても、それほど高額ではない。扶養からはずされた人には高く感じるだろうが、同じ収入の若い人が負担する保険料よりは少ない。
天引きされようと、自分で納めにいこうと、収入から払う事実に変わりないのだから、年金からの天引きはそれほど悪い制度とは思えない。このあたり冷静に捉えて欲しいものだ。
ただね、厚生労働省はあまりに説明不足。根回し不足だろう。最近の法改正は、この手のものが多い。内々で改正を決めて、それをそっと国会を通過させ、さあ決まったことだから従え!
これじゃあ反発を買うのも当然だ。おまけに現場との打合せもせずに改正を決めているから、現場が混乱することは必然だと思う。ニュースで地方の役所の方からも説明不足だと批難されているのは無様としか言い様がない。
最近の霞ヶ関は、この手の無雑作すぎる法改正を頻発する。どうも現場の知識経験のないエリートが、書類の上で完璧な改正案を作って、それを放り出して満足している気がする。日経がアリバイ的法改正と揶揄していたが、まさにその通り。
この状況を改善するには二つ、必要なことがある。一つは官官接待を含め、民間との飲食接待を復活させることだ。意外に思う方も多いと思うが、明るい会議室で話し合うのと、酒を伴にしつつ談笑しながら話し合うのでは、本音の出方が違う。日本人は正面きっての意見の対立を厭う。だから会議室では本音が出ないのが現実だ。これは民間企業でも同じだよ。
もう一つは、日露戦争以降の弊害。エリート官僚の政策実施の結果責任を不問とする慣習を改めることだ。日露戦争における日本の失敗は数多い。しかし、勝ったことでそれを不問にしたことが、いつのまにやら慣行化して、特権化してしまっている。そのため、稚拙な法改正による失態の責任を問わない伝統が育ってしまった。
失敗を認めないのだから、責任はなく、反省も必要ない。これが日本のエリートを著しく増長させ、駄目なエリートを蔓延させてしまった。
大規模福祉社会であるがゆえに、厚生労働省の失態が目立つが、これは他の官庁でも同じ事。自民だろうが民主だろうが、霞ヶ関を改めないと、同じ失政は何度も繰り返されると思います。