地上の生物は、皆海から上がって進化してきたという。なれば、海こそが故郷なのだろう。
山登りの傾倒していた私だが、それでも年に一度以上は必ず海に出かけるようにしている。ほとんどが海岸で寝転がるだけだが、波のさざめきと眩しい太陽に癒される感覚が好きでたまらなかった。太古の祖先が海から来たことを、なんとなく実感できたものだ。
しかし、陸に上がっていた期間が長すぎて、今更戻ることは出来なくなっている。船という道具を使って、再び海に乗り出した人類だが、やはり長期間海で暮らすことは難しいのだろう。
まず、ほとんどの人は「船酔い」に苦しめられる。これは陸に上がれば、あっというまに治ってしまう。まれに船酔いに強い人もいるが、狭い船内に長期間暮らすことからくる精神的疾患からは逃れられない。
ドクトルまんぼうこと北杜夫先生は、船酔いには強かったが、最後は精神的ストレスから内臓をやられてしまう。揺れの少ない大型船で、多くの人たちとの交流があれば精神的ストレスも対処できたのかもしれないが、狭い船内と限られた人間たちとの間では難しかったのだろうと思う。
ちなみにまんぼう先生は精神科医だから、自らの変調を冷静に観察できたようだ。この航海記に限らないが、まんぼう先生の著作には、冷静な観察眼とユーモア溢れる洞察、それでいて妙なおっちょこちょいぶりがみられて実に面白い読み物となっている。
私がはじめて読んだ北杜夫の作品が、この航海記だった。軽妙な文体ながら、冷静さと笑いの混合具合が気持ちよく、高校時代はずいぶんと読み込んだものだ。
ただ、なんとはなしに私は船旅には向かないだろうとも思っていた。乗り物酔いに弱いこともあるが、なにより広大な海原が駄目だと思う。その単調な広がりに心が麻痺して、終いには退屈を通り越して苦痛になることが予想できたからだ。
これはヨーロッパに旅行した時、ベルギーからオランダあたりをドライブした時にも実感できた。平坦な平原が続く景色を楽しめたのは最初だけで、その単調さから苦痛を感じるようになっていた。あのあたりは、土地に起伏がほとんどないので、どこまで走っても景色が変らないのだ。これは退屈ではすまされない苦痛だった。
落ち着きの無い私は、どうもあまりに平坦な光景は苦手らしい。狭い日本は山に囲まれ、起伏のある変化に富んだ風景があたりまえにある。やっぱり私は日本が好きだ。
山登りの傾倒していた私だが、それでも年に一度以上は必ず海に出かけるようにしている。ほとんどが海岸で寝転がるだけだが、波のさざめきと眩しい太陽に癒される感覚が好きでたまらなかった。太古の祖先が海から来たことを、なんとなく実感できたものだ。
しかし、陸に上がっていた期間が長すぎて、今更戻ることは出来なくなっている。船という道具を使って、再び海に乗り出した人類だが、やはり長期間海で暮らすことは難しいのだろう。
まず、ほとんどの人は「船酔い」に苦しめられる。これは陸に上がれば、あっというまに治ってしまう。まれに船酔いに強い人もいるが、狭い船内に長期間暮らすことからくる精神的疾患からは逃れられない。
ドクトルまんぼうこと北杜夫先生は、船酔いには強かったが、最後は精神的ストレスから内臓をやられてしまう。揺れの少ない大型船で、多くの人たちとの交流があれば精神的ストレスも対処できたのかもしれないが、狭い船内と限られた人間たちとの間では難しかったのだろうと思う。
ちなみにまんぼう先生は精神科医だから、自らの変調を冷静に観察できたようだ。この航海記に限らないが、まんぼう先生の著作には、冷静な観察眼とユーモア溢れる洞察、それでいて妙なおっちょこちょいぶりがみられて実に面白い読み物となっている。
私がはじめて読んだ北杜夫の作品が、この航海記だった。軽妙な文体ながら、冷静さと笑いの混合具合が気持ちよく、高校時代はずいぶんと読み込んだものだ。
ただ、なんとはなしに私は船旅には向かないだろうとも思っていた。乗り物酔いに弱いこともあるが、なにより広大な海原が駄目だと思う。その単調な広がりに心が麻痺して、終いには退屈を通り越して苦痛になることが予想できたからだ。
これはヨーロッパに旅行した時、ベルギーからオランダあたりをドライブした時にも実感できた。平坦な平原が続く景色を楽しめたのは最初だけで、その単調さから苦痛を感じるようになっていた。あのあたりは、土地に起伏がほとんどないので、どこまで走っても景色が変らないのだ。これは退屈ではすまされない苦痛だった。
落ち着きの無い私は、どうもあまりに平坦な光景は苦手らしい。狭い日本は山に囲まれ、起伏のある変化に富んだ風景があたりまえにある。やっぱり私は日本が好きだ。